格式

律令の補完のために出された法令あるいは法令集

格式(きゃくしき)とは、律令の補完のために出された法令あるいはそれらをまとめた法令集のことを指す。(きゃく)は律令の修正・補足のための法令(副法)と詔勅を指し、(しき/のり)は律令の施行細則を指した[1][2]

概要

編集

律令制度は本来、によって運用される。根本法典である刑法に相当)と行政法民法に相当)は改正せず、必要があればを出して改正・追加し、細かな施行細則はによって定めた。は、個々の単行法令を「某日の格」などと称することもあったが、律令施行後の詔書勅旨太政官符など全般を称してともいった[3]は、養老令の条文にも「式に依りて」「別式に依れ」などの文言があり、この場合は確かに令条の付則とみなすことができるものの、実際には律令条文の改廃・増補が格、施行細則が式というふうには明確に区別できないこともあった[3]。たとえば、格とされる太政官符が、条文として整えられ、定められたうえで式とされる場合もあった。なお、日本・中国ともに格式に採録された詔勅・官符の中には、実際に発令時の本文と採録された本文が異なる場合がある。これは格式は現行において有効な法令を採るという方針から、採録当時に既に無効とされた部分や改正された部分に関して原文を書き改めたり、増補・削除することで、採録時の有効な法令の形態にしているからである[4]

歴史上最古とされている格式は東魏541年に定められた『麟趾格』と同じく544年に定められた『中興永式』であるとされている[4]

東アジア3国における相違

編集

本来的には、格も式も律令にともなう法典であり、四者そろうことはむしろ望ましいことであって、中国では実際にこの四者が同時に制定されることもあった。ただし、中国と日本朝鮮では、その運用方法が異なっていた。

中国では上述のとおり、律令編纂と同時にその不足を補う意味で格や式の編纂・施行が行われたのに対して、日本では律令編纂後しばらくしてから詔勅・太政官符の形式で追加された法令を後日まとめて編纂する方法が採られた。また、格に関しても中国ではの滅亡後は官人資格などを定めた限定的な法律に縮小されていくのに対して、日本では養老律令以降、新規の律令が全くつくられなくなったため、格の占める比率が高くなり、律令による規定そのものを否定する法令(例:墾田永年私財法)さえも格の形式によって出されるようになった。もとより、日本でも、8世紀段階においても既に格式に相当する法令の集成が試みられた形跡が確認でき[3]、また、桓武天皇も、大宝律令後に出された厖大な数の単行法令を整理し、現行法として有効なものを集めて、養老律令を改め、新たに法典を編纂しようと試みたが結局は断念したとみられる[5]。実際は弘仁年間にいたってようやく「四者相須て、以て垂範するに足る」[6]という状況となった。つまりは、日本の場合、律令の編纂から法典としての格式の編纂がなされるまでのあいだ、長い時間が経過していたのである。そして、実際に成立した格式についても、中国の格式では新しい格式が制定されると従前の格式は廃止されることとされていたが、日本では古い格式が廃止されずに併用して用いられていた。式に関しては『延喜式』制定時に既存の『弘仁式』『貞観式』を廃止することと規定されたが、『貞観格』についてはそうした措置が取られなかったために、結局三代の格の全てを調べなければ必要な法律情報が入手できない事態も生じた。『類聚三代格』の編纂が行われたのは、こうした不便を解消する意図があったと見られている[4]

このため、式が格の施行細則を規定するということもみられるようになり、平安時代中期以後は律令にもとづいた律令政治という建前を採りながらも、実態としては格式にもとづく政治であったといわれている。したがって、格式は律令の補助法令という側面と同時に、9世紀以降の新しい社会状況に対応していくためにさかんに制定されたという側面をもっている。

新羅においては、律令そのものをの律令をそのまま受容しつつも、格式によって自国の国情に合わせた法体系に修正していくというかたちが採られた。

格・式・例

編集

格の法典としての体裁は、個々の単行法令を事書きや発令日などを含めてほぼ原文のまま記載して関係官司ごとに配列している。また、式は行政法である令の施行細則のみならず後にこれを補うために設置された令外官設置の根拠法規、たとえば、検非違使設置を定めた「検非違使式」などとしても用いられた。なお、式に準じたものとして例が挙げられる。

脚注

編集
  1. ^ 唐の律令には律を「生刑定罪」・令を「設範立制」・格を「禁違正邪」・式を「軌物程事」と定義し、日本の弘仁格式の序文に「律は懲粛を以って宗とし、令は勧誡を以って本とし、格はすなわち時を図って制を立て、式はすなわち闕を補って遺を拾う、四者あいまって範を垂るるに足る」と記載されて以来こうした解釈が一般的であるが、同序文には重ねて「過去の法令の中で個々に発令されてきた単行法令の中で奉勅を得たもの及び事の旨がやや大きいために(今回の編纂に際して)改めて奉勅を得たものを格に置き、それ以外の恒例とするに足りるものを式に採り入れた」と記しているなど定義づけに混乱も見られる、このため同一の法令を「格」と呼んだり「式」と呼んだりする例も存在している。
  2. ^ 八幡宇佐宮御託宣集
  3. ^ a b c 早川(1995)p.286-289
  4. ^ a b c 川尻(2002)p.111-112
  5. ^ 坂上(2001)p。202-204
  6. ^ 弘仁格式」序

出典

編集
  • 早川万年「三代格式」阿部猛・義江明子・槙道雄・相曽貴志『日本古代史研究事典』東京堂出版、1995年9月。ISBN 4-490-10396-4
  • 坂上康俊『律令国家の転換と「日本」』講談社、2001年3月。ISBN 4-06-268905-7
  • 川尻秋生「格式法」尾形勇 他『歴史学事典』第9巻「法と秩序」弘文堂、2002年2月。ISBN 4-335-21039-6

関連項目

編集
  NODES