氷室冴子
氷室 冴子(ひむろ さえこ、本名:碓井 小恵子〈うすい さえこ〉[1]、1957年〈昭和32年〉1月11日[1] - 2008年〈平成20年〉6月6日[1])は、日本の小説家。
氷室 冴子 (ひむろ さえこ) | |
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誕生 |
碓井 小恵子 1957年1月11日 北海道岩見沢市 |
死没 |
2008年6月6日(51歳没) 東京都 |
職業 | 小説家 |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1977年 - 1995年 |
ジャンル | 少女小説 |
代表作 |
「なんて素敵にジャパネスク」シリーズ(1981-91年) 『海がきこえる』(1990-92年) |
デビュー作 | 「さようならアルルカン」(1977年) |
ウィキポータル 文学 |
1980年代から1990年代にかけて集英社コバルト文庫を代表する看板作家であり、かつては正本ノン、久美沙織、田中雅美とあわせてコバルト四天王と呼ばれていた[2]。
生涯
編集北海道岩見沢市出身[1]。北海道岩見沢東高等学校を経て藤女子大学文学部国文学科へ進学。当時の知的流行であった構造主義に傾倒し、志賀直哉の文庫本をバラして一日1ページのペースで文章を一字一句に至るまで解析する学究生活を送る。大学3年の夏に賞金目当てで第10回「小説ジュニア青春小説新人賞」へ応募して佳作を受賞。その時点では職業作家を目指していなかったものの、このときの受賞作「さようならアルルカン」で、1977年(昭和52年)に小説家としてデビュー、翌年には初の単行本『白い少女たち』が刊行される。
卒論では堀辰雄を論じた。1979年(昭和54年)に大学は卒業するがオイルショックの影響で就職ができず、母親と喧嘩して家を出て札幌で高校時代からの友人2人と共同生活を始める。手元にあったのは『白い少女たち』の印税60万円であり、家賃から雑費まですべて含めて月1万9000円の貧乏生活を開始。月に1本のペースで小説を書いては出版社に送りつける。1980年(昭和55年)4月に刊行された学園コメディー『クララ白書』の印税を手にしたときは銀行預金の残高が4万円しか残っていなかった。
その後、宝塚歌劇をモデルにした漫画『ライジング!』の原作を手がけることになり、1981年(昭和56年)、取材のため兵庫県宝塚市へ転居。小説家であることを隠してファンクラブに潜入し、若手スターの追っかけをしながら原稿を執筆する。1年ほど宝塚で暮らし、ファンクラブ内では準幹部まで出世している。
『雑居時代』(1982年7月刊)が版を重ねることで職業作家としての道が確立、1982年(昭和57年)に札幌に戻ったが、長距離電話代の請求額にショックを受けて1985年(昭和60年)に上京。これと平行して隔月雑誌『小説コバルト』に『ざ・ちぇんじ!』『シンデレラ迷宮』などを発表。『なんて素敵にジャパネスク』シリーズで一躍集英社コバルト文庫の看板作家としての地位を確立し、少女小説ブームの立役者として活躍した。“少女小説家”という言葉の生みの親でもあり、小説『少女小説家は死なない!』を83年に著している。
古代日本を舞台に設定したファンタジー『銀の海 金の大地』シリーズ、小学校時代を舞台にした半自伝小説『いもうと物語』、結婚を迫る母親との攻防戦を描いたエッセイ『冴子の母娘草』などの作品もある。次第に『Cobalt』以外にも活動の場を広げ、徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』で連載した『海がきこえる』は1993年(平成5年)にスタジオ・ジブリでアニメ化された。
1990年代後半以降は体調を崩しがちになり、目立った執筆活動はなかった。2000年代は漫画賞の選考委員などを行っていた。2001年に雑誌コバルトの取材で斎宮歴史博物館を訪れ学芸員と対談、斎宮を舞台にした平安時代小説の新作の構想で盛り上がったという[3]。2008年(平成20年)6月6日午前9時、肺癌で死去した[4]。51歳没。
生前親交の深かった日本橋学館大学(千葉県柏市)の田中二郎准教授に約850冊の本を譲っていた縁で、2009年10月24日、同大学で「氷室さんを偲ぶ一日」が開かれ、田中准教授は「思い出を語る会」で氷室のパワフルに過ごした私生活などを紹介した。また同大学図書館では、寄贈された本や氷室が愛用したパソコン・キーボード、原稿用紙などを公開する展示企画「氷室冴子の世界 ~寄贈本と思い出の品~」を同年9月中旬から10月末まで開催していたが、読売新聞や千葉日報で紹介されるなどしたため、11月末まで展示は続けられることになった[5][6][7][8][9]。
作風と影響
編集最初期の『さようならアルルカン』やミッションスクールの寄宿舎を舞台にしてそれぞれの内面を抱えた3人の少女の精神的な交流を描いた『白い少女たち』には、少女小説の元祖的存在である吉屋信子の強い影響が認められる[13]。また、子供の頃から少女漫画を愛読しており、萩尾望都らの影響を受けたと語っている[14]。萩尾らが少女漫画で「虚構の少年」、男女どちらからも自由な新しいイメージを描いたことに感銘を受け、しかし、男の子はうらやましい、男の子に対して現実の女の子は人生の主役にもなれないし物語の主役にもなれないと感じ、少女を主人公にした「少女小説」を意識して書くようになった[15]。大塚英志は、氷室や久美沙織らが少女小説に「アニメのような小説」、「少女まんがのような小説」を持ち込んだと述べている[16]。
氷室以前に、平安時代を舞台にしたものは歴史小説が主で、創作キャラクターが活躍する小説はほとんどなかった。氷室は、現代的な感覚のヒロインが平安時代で活躍するというスタイルを確立した。平安時代に育った人物は平安時代の感覚を持つはずであり、現代の女子高生のような感覚の主人公が平安時代にいるという設定は本来不自然であるが、氷室は並々ならぬ歴史・古典知識と愛情、綿密なストーリー構成によってその壁を超えた(同様の挑戦を行った作品として、荻原規子の児童文学「勾玉三部作(1988 ‐ 1996年)」がある)。氷室の歴史ものは「古典の現代的再生」に成功した希有な例であり、その後の少女小説やライトノベル、漫画における平安もの、歴史ものに大きな影響を与えた[3]。ブロガーのペトロニウスは、「平安朝の貴族文化を現代風にアレンジしてエンターテイメントにする手法」のフォーマットの始まりは氷室作品で、これは広く一般化しており、D.キッサンのマンガ『千歳ヲチコチ』(2011年 ‐ 2016年) のような近年の作品は、このフォーマットが深く浸透している前提で、平安時代の風習の説明も省いていると指摘している[17]。氷室作品が古典や歴史に興味を持つきっかけになった人も多く、斎宮歴史博物館の榎村寛之は、「『古典や歴史の研究を志したきっかけは、氷室先生の作品に接したことでした』という研究者は、特に若手の女性研究者を中心に少なくないようです」と述べている[3]。
『Cobalt』2006年2月号で行われた、同誌で活躍中の作家に初めて読んだコバルト文庫作品を尋ねるアンケートで、今野緒雪、金蓮花、倉世春らが氷室の作品を挙げており、氷室による現代少女小説の流れは次の世代の作家たちに受け継がれていると言える[18]。
漫画家・青山剛昌原作の『名探偵コナン』87巻に収録の『蘭GIRL』と『新一BOY』は、氷室の『なぎさボーイ』と『多恵子ガール』を元ネタとしており、青山は、「『なぎさボーイ』を読んだ後で『多恵子ガール』を読み、『女の子ってこんなこと考えてたんだ。おもしれー』と感動し、いつかオレもこんな連載を描いてみたいなぁと思っていたら30年もたってしまった…(笑)」と話している[19]。
作品
編集小説
編集*出版社表記のないものは全て集英社文庫コバルトシリーズ(コバルト文庫)
- 白い少女たち 1978年
- さようならアルルカン 1979年 - 表題のデビュー作を含む短編集
- 収録作品は「さようならアルルカン」「アリスに接吻を」「誘惑は赤い薔薇」「妹」
- クララ&アグネス白書
- 恋する女たち 1981年
- 雑居時代 上下巻 1982年
- ざ・ちぇんじ! 前編・後編 1983年
- シンデレラシリーズ
- シンデレラ迷宮 1983年
- シンデレラ ミステリー 1984年
- 少女小説家は死なない! 1983年
- なんて素敵にジャパネスク シリーズ
- 蕨ヶ丘物語 1984年
- ボーイ・ガールシリーズ - 蕨ヶ丘物語と同舞台
- なぎさボーイ 1984年
- 多恵子ガール 1985年
- 北里マドンナ 集英社 1988年 のち文庫 1991年
- ヤマトタケル 1986年
- 冬のディーン 夏のナタリー1-3 1988年 - 1993年
- レディ・アンをさがして 角川文庫 1989年
- 碧(あお)の迷宮 上 角川文庫 1989年
- いもうと物語 新潮社、1991年 のち文庫 1994年
- ターン―三番目に好き 集英社、1991年 のち文庫 1994年
- 銀の海 金の大地シリーズ
- 海がきこえる1-2 徳間書店 1993,1995年 のち文庫
- 月の輝く夜に/ざ・ちぇんじ! 2012年 - 『ざ・ちぇんじ!』と文庫未収録3作品を収録した作品集
- 収録作品「月の輝く夜に」「ざ・ちぇんじ!」「少女小説家を殺せ!(少女小説家は死なない!番外編)」「クララ白書番外編 お姉さまたちの日々」
- さようならアルルカン/白い少女たち-氷室冴子初期作品集- 集英社 2020年
- 収録作品「さようならアルルカン」「あなたへの挽歌」「おしゃべり」「悲しみ・つづれ織り」「私と彼女」「白い少女たち」
エッセイ
編集- 冴子の東京物語 集英社 1987年 のち文庫 1990年 のち文庫再刊行 2022年(『青春と読書』1985年2月号-1987年3月号連載)
- プレイバックへようこそ 角川書店 1989年 のち文庫 1991年(『月刊カドカワ』1988年12月号-1989年5月号連載)
- プレイバックへようこそ2 角川書店 1990年 のち文庫(「委員物語」に改題) 1991年(『月刊カドカワ』1989年7月号-1990年2月号連載)
- ガールフレンズ―冴子スペシャル 集英社文庫コバルトシリーズ 1990年 - 対談集+αのバラエティブック
- マイ・ディア―親愛なる物語 角川文庫 1990年 - ブックガイドエッセイ
- いっぱしの女 筑摩書房 1992年 のち文庫 1995年 のち文庫再刊行 2021年(『ちくま』1990年4月号-1992年1月号連載)
- 冴子の母娘草(ははこぐさ) 集英社 1993年 のち文庫 1996年 のち文庫再刊行 2022年(『青春と読書』1991年6月号-1993年2月号連載)
- ホンの幸せ 集英社 1995年 のち文庫 1998年
翻訳
編集- 落窪物語 講談社 1993年 改版 2009年
共著
編集- 僕が好きなひとへ 海がきこえるより 近藤勝也共著 徳間書店 1993年
戯曲
編集漫画原作
編集氷室作品を題材・原作とした作品
編集ドラマ化
編集- なんて素敵にジャパネスク(主演:富田靖子)
- 海がきこえる〜アイがあるから〜(主演:武田真治、佐藤仁美)
ラジオドラマ化
編集- なんて素敵にジャパネスク(NHK-FM 主演:小林聡美)
映画化
編集アニメ化
編集漫画化
編集- クララ白書(みさきのあ:小学館)
- アグネス白書(みさきのあ:小学館)
- なんて素敵にジャパネスク(山内直実:白泉社)
- 雑居時代(山内直実:白泉社)
- 蕨ヶ丘物語(山内直実:白泉社)
- ざ・ちぇんじ!(山内直実:白泉社)
- 月の輝く夜に(山内直実:白泉社)
- 少女小説家は死なない(にしざわみゆき:白泉社)
- 恋する女たち(南部美代子:集英社)
絵物語化
編集舞台化
編集- レディ・アンをさがして
- ざ・ちぇんじ!-新釈とりかえばや物語-
- シンデレラ迷宮
- 演劇集団キャラメルボックスが1994年、東京芸術劇場小ホール、新橋ヤクルトホールにて上演。
その他
編集テレビ番組
編集参考文献
編集- 氷室冴子責任編集『氷室冴子読本』(徳間書店、1993年) ISBN 4-19-175242-1
- 『没後10年記念特集 氷室冴子 私たちが愛した永遠の青春小説作家』河出書房新社<KAWADE夢ムック>、2018年8月 ISBN 978-4-309-97953-3
- 嵯峨景子『氷室冴子とその時代』小鳥遊書房、2019年9月 ISBN 978-4-909812-16-2
- 『増補版 氷室冴子とその時代』河出書房新社、2023年6月 ISBN 978-4-309-03114-9
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 大橋崇行・山中智省『ライトノベル・フロントライン 1』青弓社、2015年10月16日第1刷発行、92頁。ISBN 978-4-7872-9231-5。
- ^ 菅聡子 編『〈少女小説〉ワンダーランド 明治から平成まで』明治書院、2008年、116-117頁。ISBN 978-4-625-68408-1。
- ^ a b c 第1話 哀悼 氷室冴子先生 斎宮歴史博物館
- ^ “「なんて素敵にジャパネスク」 作家の氷室冴子さん死去”. 四国新聞. (2008年6月6日). オリジナルの2009年9月6日時点におけるアーカイブ。 2008年6月6日閲覧。
- ^ “[図書館イベント]氷室冴子さんからの贈り物”. 日本橋学館大学. (2009年10月2日). オリジナルの2012年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “読売新聞(10月23日付)、及び千葉日報(10月25日付)に「氷室冴子さんを偲ぶ一日」についての記事が掲載されました!”. 日本橋学館大学. (2009年10月27日). オリジナルの2012年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “好評につき期間延長! 展示企画「氷室冴子の世界」”. 日本橋学館大学. (2009年11月2日). オリジナルの2012年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ 氷室さんの蔵書850冊寄贈[リンク切れ](読売新聞 2009年10月23日付 画像のみ)
- ^ “「私生活はパワフルに」氷室冴子さんを日本橋学館大准教授が紹介”. 千葉日報. (2009年10月25日). オリジナルの2012年10月23日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【小説投稿コンテスト】第一回氷室冴子青春文学賞”. エブリスタ. 2023年8月6日閲覧。
- ^ “氷室冴子青春文学賞”. 氷室冴子青春文学賞. 2023年8月6日閲覧。
- ^ “北海道チャリティーエントリー(2019)スポーツ・文化・地域おこし分野 氷室冴子青春文学賞”. 認定NPO法人ランナーズサポート北海道. 2023年8月6日閲覧。
- ^ “吉屋信子は終わらない 少女たちのはかなくも凛とした世界”. 朝日新聞. (2008年7月20日). オリジナルの2008年8月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ 氷室冴子責任編集『氷室冴子読本』徳間書店、1993年、99頁。
- ^ 萩尾望都 『物語るあなた 絵描くわたし』 河出書房新社、2012年
- ^ 大塚英志『キャラクター小説の作り方』講談社〈講談社現代新書〉、2003年、123-124頁。ISBN 978-4-06-149646-0。
- ^ ペトロニウス 平安朝の貴族文化を現代風にアレンジしてエンターテイメントする手法って、本当に一般化したなーと思う。 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために 2016-05-11
- ^ 菅聡子 編『〈少女小説〉ワンダーランド 明治から平成まで』明治書院、2008年、83-84頁。ISBN 978-4-625-68408-1。
- ^ 青山剛昌『名探偵コナン 87巻』小学館、2015年8月、カバー折り返し部分の作者コメントより。
- ^ “【NEWS】全国放送&43分拡大版決定!「没後15年 氷室冴子をリレーする」”. NHK (2023年7月10日). 2023年8月6日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 光彩孤月(氷室冴子ファンページ)
- 氷室冴子さんを偲ぶ会
- 氷室冴子さんを偲ぶ会【藤花忌】 (@himurosaeko) - X(旧Twitter)
- 氷室冴子青春文学賞
- 氷室冴子青春文学賞 (@himurosaekosho) - X(旧Twitter)