池田基煕
池田 基煕(いけだ もとひろ、1971年(昭和46年)12月24日 - )は、日本の実業家。皇室の親族。旧名は野津 基弘(のづ もとひろ)。
いけだ もとひろ 池田 基煕 | |
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生誕 |
野津 基弘 1971年12月24日(53歳) 日本 岡山県岡山市 |
出身校 | The Oxford Academy[1] |
職業 | 実業家、慈善家、学校法人理事 |
親 |
父:野津喬 母:野津圭子 養母:池田厚子 |
親戚 |
父方祖父:野津克巳 父方大伯父:野津康雄 母方祖父:尚裕 |
来歴
編集1971年、岡山市生まれ。野津喬の長男[2]。オックスフォード校に留学し[1]、帰国後父親から事業を引き継ぎ様々な会社の経営に携わる。2023年3月、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第四皇女・池田厚子と養子縁組を結んだ[3]。
日本カバヤ・オハヨーホールディングス代表取締役CEO、オハヨー乳業代表取締役社長、学校法人三友学園理事長[4]、岡山放送非常勤取締役[5]を務める。
2024年11月、日本カバヤ・オハヨーホールディングスグループ6社のトップを退任し、今後は株主として関わっていくことになった[6]。
人物
編集人柄
編集取締役として池田動物園の経営に関わり、同園の運営を支え動物の愛護と保護に貢献してきた[7]。
池田厚子と野津夫妻の養子縁組
編集→詳細は「池田氏 § 最後の当主夫人の養子縁組について」を参照
家族・親族
編集系譜上は昭和天皇・香淳皇后夫妻の孫で、上皇(第125代天皇)の甥であり、かつ今上天皇(第126代天皇)の従兄となる。また最後の琉球国王の尚泰の来孫にあたる(母・圭子が尚泰の玄孫)。尚家と野津家との縁は深く、野津喬の妻・圭子の妹の薫(尚裕四女)も、野津喬の弟・野津公に嫁いでいる[8]。衆議院議員井上信治[8]、秋篠宮文仁親王、小室圭・眞子夫妻、川嶋舟・栗原菜緒夫妻なども親戚である。
- 野津家
- 祖父・克巳[9](1917年 - 2002年、オハヨー乳業創業者) - 岡山県総社市真壁出身[10]。
- 父・喬[2](1945年 - 2017年、日本カバヤ・オハヨーホールディングス会長)[11]
- 母・圭子[2](尚家第22代当主で侯爵尚裕三女[8]、尚家第21代当主で侯爵尚昌の孫、尚家第20代当主で侯爵尚典の曽孫、尚家第19代当主で最後の琉球国王の尚泰の玄孫)
- 池田家
著作
編集- 「リレー対談 琉球王朝の歴史伝統文化を軸としてある企業活動 : 自由と自立 愛情と覚悟の精神を貫いた祖父」『月刊公論』 55 (1), 6-15, 2022-01
- 「リレー対談 目標は鹿島から世界を目指す : アントラーズの使命は地域バリューを上げること」『月刊公論』 55 (2), 6-15, 2022-02
脚注
編集- ^ a b 「オハヨー乳業、新社長に野津基弘氏」『日本食糧新聞』2015-6-22
- ^ a b c 『現代人物事典 出身県別 西日本版』岡山1167頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月8日閲覧。
- ^ “上皇さまの姉・池田厚子さん カバヤ・オハヨーHDの野津基弘CEO夫妻と養子縁組 グループは開園時から池田動物園を支援 岡山”. KSB (2024年4月12日). 2024年11月8日閲覧。
- ^ “学校法人三友学園理事名簿” (PDF). 学校法人三友学園. 2024年11月19日閲覧。
- ^ “役員体制” (PDF). 岡山放送 (2024年6月18日). 2024年11月19日閲覧。
- ^ “カバヤ・オハヨーグループ、6社トップ交代 池田氏退任”. 日本経済新聞 (2024年11月18日). 2024年11月19日閲覧。
- ^ 「運営会社情報」『池田動物園』
- ^ a b c “「実子がいるのに、夫婦養子に儀式を…」 琉球王朝「尚家」のお家騒動、何が起きているのか”. デイリー新潮 (2024年1月30日). 2024年11月8日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第25版 下』の30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月8日閲覧。
- ^ 『岡山県展望 1969年版』109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年11月9日閲覧。
- ^ “野津喬氏が死去 日本カバヤ・オハヨーホールディングス会長”. 日本経済新聞. (2017年11月27日) 2024年4月21日閲覧。
- ^ “「“爵位が欲しい”とよく言っていた」 上皇陛下の姉君・池田厚子さんと菓子メーカー「カバヤ」代表の養子縁組の裏側”. デイリー新潮 (2024年4月20日). 2024年11月8日閲覧。
参考文献
編集- 『岡山県展望 1969年版』岡山日日新聞社、1969年。
- 人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。
- 『現代人物事典 出身県別 西日本版』サン・データ・システム、1980年。
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