池田長教
江戸時代前期の龍野藩士。播磨龍野藩士池田家の祖。池田長幸の次男。子に池田長広(外記、長廣)
池田 長教(いけだ ながのり)は、江戸時代前期の龍野藩士。通称は三之助。諱は長純、長氏とも。播磨龍野藩士池田家の祖。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 三之助(通称)、長純、長氏 |
藩 | 播磨龍野藩 |
氏族 | 池田氏(長吉流) |
父母 | 池田長幸 |
兄弟 |
長常、長教、長信、長泰、長重、 高島長親、水野成言正室、鶴、 堀直時正室、荒尾宣就室 |
妻 | 脇坂安信娘 |
子 | 長広 |
略歴
編集寛永9年(1632年)4月4日、父長幸の病が重く、親族が集まり後嗣について評議した。嫡男長常は病弱のため、次男長教(長純)と分割相続する案に、叔父長頼が一人反対し、評議の場からはずされてしまう。怒った長頼は、長教とその義父の脇坂安信、脇坂安経に斬りかかり、長教と安信を負傷させ、安経を殺害する事件を起こす。この結果、長常が単独相続することになった。
長教の子の池田外記長広は縁戚の脇坂家に仕え、江戸家老を務めた。