添上郡
日本の奈良県(大和国)にあった郡
郡域
編集歴史
編集古代
編集もとは「曾布(そふ)」あるいは「層富(そほ)」という地名であったが、これに「添(そふ)」の字が当てられ、2つに分けて添上郡・添下郡となった。9代開化天皇の春日率川宮が奈良市率川にあったと伝える。郡名は佐保川に由来する。奈良山丘陵南斜面の東側が「佐保」、西側が「佐紀」であり、古代のヤマト(磯城郡・十市郡を中心とする一帯)の北に位置する。
郷
編集- 山村郷(也末無良)
- 猶中郷
- 山邊郷
- 楊生郷(也木布)
- 八島郷(也之末)
- 大岡郷
- 春日郷(加須加)
- 大宅郷
式内社
編集神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
添上郡 37座(大9座・小28座) | |||||||
鳴雷神社 | ナルイカツチノ | 大 | 月次新嘗 | 鳴雷神社 | 奈良県奈良市春日野町 | 春日大社境内末社 | [1] |
率川坐大神神御子神社 三座 | イサカハ- | 小 | 率川神社 | 奈良県奈良市本子守町 | 大神神社境外摂社 | ||
狭岡神社 八座 | サヲカノ | 小 | (論)狹岡神社 | 奈良県奈良市法蓮佐保田町 | |||
(論)漢國神社 | 奈良県奈良市漢国町 | ||||||
率川阿波神社 | イサカハアハノ | 小 | 率川阿波神社 | 奈良県奈良市本子守町 | 大神神社境外摂社 (率川神社境内社) |
||
宇奈太理坐高御魂神社 | ウナタリニマスタカミヒノ | 大 | 月次相嘗新嘗 | 宇奈多理坐高御魂神社 | 奈良県奈良市法華寺町 | [2] | |
和尓坐赤坂比古神社 | ワニ- | 大 | 月次新嘗 | 和爾坐赤阪比古神社 | 奈良県天理市櫟本町和爾 | [3] | |
穴吹神社 | アナフキノ フエフキ |
小 | 穴栗神社 | 奈良県奈良市古町穴栗 | |||
和尓下神社 二座 | ワニシモノ ワニノ |
小 | 上治道天王神社 | 奈良県天理市櫟本町櫟本 | |||
下治道天王神社 | 奈良県大和郡山市横田町字治道 | ||||||
奈良豆比古神社 | 小 | 鍬靫 | (論)奈良豆比古神社 | 奈良県奈良市奈良坂町 | |||
(論)楢神社 | 奈良県天理市楢町 | ||||||
神波多神社 | カムハタノ | 小 | 鍬 | 神波多神社 | 奈良県山辺郡山添村中峯山 | ||
高橋神社 | タカ- | 小 | (論)高橋神社 | 奈良県奈良市八条町菰川 | |||
(論)氷室神社 | 奈良県奈良市春日野町 | ||||||
太祝詞神社 | フトノトノ | 大 | 月次新嘗 | 森神社 | 奈良県天理市森本町字高岸 | [4] | |
宅布世神社 | イヘフセノ | 小 | 宅布世神社 | 奈良県奈良市鉢伏町 | |||
大和日向神社 | オホヤマトヒムカヒノ | 小 | 鍬靫 | 本宮神社 | 奈良県奈良市春日野町 | 春日大社境内摂社 | |
夜支布山口神社 | ヤキフ- | 大 | 月次新嘗 | 夜支布山口神社 | 奈良県奈良市大柳生町 | [5] | |
春日神社 | カスカノ | 小 | 榎本神社 | 奈良県奈良市春日野町 | 春日大社境内摂社 | ||
賣太神社 | ヒメタノ | 小 | 賣太神社 | 奈良県大和郡山市稗田町 | |||
春日祭神 四座 | 並名神大 | 月次新嘗 | 春日大社 | 奈良県奈良市春日野町 | [6] | ||
赤穂神社 | アカホノ | 小 | 赤穂神社 | 奈良県奈良市高畑町 | |||
島田神社 | シマタノ | 小 | 嶋田神社 | 奈良県奈良市八島町 | |||
御前社原石立命神社 | ミサキノ- | 小 | 御前原石立命神社 | 奈良県奈良市古市町 | |||
天乃石吸神社 | -ノイハスヒノ | 小 | (論)六所神社 | 奈良県山辺郡山添村峯寺字氏神山 | |||
五百立神社 | イホタチノ | 小 | 五百立神社 | 奈良県奈良市雑司町字五百立山 | |||
天乃石立神社 | -ノイハタチノ | 小 | 天石立神社 | 奈良県奈良市柳生町柳生岩戸谷 | |||
凡例を表示 |
近世
編集「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は奈良奉行が管轄。●は村内に寺社領が、○は村内に寺社除地[4]が存在。(1町138村)
幕末の知行
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 1町 22村 |
○北村[5]、南ノ庄村、鳴川村、○法用村、平清水村、大慈仙村、誓多林村、川上村、京終村、●○法蓮村[6]、杉ヶ町村、●○般若寺村、●野田村、●池田村、北之庄村[7]、西永井村、○南永井村、北永井村、●○森本村、○白土村、○櫟枝村、奈良町[8]、畠中村[9] |
藩領 | 伊勢津藩 | 40村 | 沓掛村、矢田原村、茗荷村、南田原村、中之庄村(現・奈良市)[10]、和田村、横田村(現・奈良市)、中貫村、大野村、日笠上村、日笠下村、此瀬村、須山村、下丹生村、水間村[11]、水間下村、別所村、杣ノ川村、長谷村、鉢ヶ坪村、○古市村、○鹿野園村、○藤原村、○八島村、○北椿尾村、○南椿尾村、○興隆寺村、○米谷村、○中畑村、○虚空蔵村、○楢村、○鉢伏村、両村、西村、東村、上手村、中村、下手村、○広岡村、城戸村(現・奈良市下狭川町) |
大和郡山藩 | 19村 | 南須川村、須川中村、北須川村、興ヶ原村、邑地村[12]、桃香野村[13]、長引村、石打村、尾山村、月瀬村、北野奥村、○北野西村、峯寺村、的野村、○室津村、松尾村、桐山村、○北野山村、丹生村 | |
大和柳生藩 | 7村 | 柳生村、窪ノ庄村、高樋村、北柳生村、○柳生下村、○大保村、●○田中村 | |
伊勢久居藩 | 3村 | ●忍辱山村[14]、大平尾村、和爾村 | |
大和小泉藩 | 1村 | 園田村 | |
幕府領・藩領 | 旗本領・津藩・柳生藩・久居藩 | 1村 | ○坂原村[15] |
その他 | 津藩・公家領(二条家) | 1村 | 中之庄村(現・天理市) |
寺社領 | 43村 | ○横田村(現・大和郡山市)、芝辻村、油坂村、城戸村(現・奈良市大森町)、奈良坂村、出屋敷村、神殿村、蔵ノ庄村、○山村[16]、○法華寺村、○石川村、今市村、○稗田村、柏木村、○発志院村、○若槻村、○柴屋村、○横井村、○白亳寺村、○上三橋村、美濃庄村、○大安寺村、○高畑村、○八条村、紀寺村、三条村、木辻村、○杏村、○下三橋村、○西九条村、○井戸野村、○中城村、○大江村、○東九条村、肘塚村、○櫟本村、大柳生村、油倉村、雑司村、門前村[17]、水門村、○菩提山村、番匠田中村[18] | |
能楽師領[19] | 1村 | 中ノ川村 |
近現代
編集町村制以前
編集- 慶応4年
- 明治初年(1町131村)
- 法蓮村の一部が分立して半田開村となる。
- 日笠上村・日笠下村が合併して日笠村となる。
- 上手村・中村・下手村・城戸村(現・奈良市下狭川町)・門前村が合併して下狭川村[21]となる。
- 南須川村・須川中村・北須川村が合併して須川村となる。
- このころ油倉村が雑司村に合併されたとみられる。
- 明治3年 - 山村が分割して新古山村・上山村となる。(1町132村)
- 明治4年
- 明治8年(1875年) - 下丹生村が丹生村に、水間下村が水間村にそれぞれ合併。(1町130村)
- 明治9年(1876年)(1町127村)
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての添上郡が発足。奈良町に「奈良郡役所」が設置され、添下郡・山辺郡・広瀬郡・平群郡とともに管轄したが、まもなく「添上添下山辺広瀬平群郡役所」に改称。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治18年(1885年) - 杉ヶ町村が奈良町の一部(杉ヶ町)を合併して杉ヶ村となる。
- 明治19年(1886年) - 鉢ヶ坪村が矢田原村に合併。(1町126村)
- 明治20年(1887年)11月4日 - 奈良県(第2次)の管轄となる。
- 明治21年(1888年) - 西永井村が南永井村に合併。(1町125村)
町村制以降
編集- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・奈良市。(1町17村)
- 奈良町 ← 奈良町[22]、奈良坂村、般若寺村、川上村、雑司村、水門村、春日野村、紀寺村、高畑村、京終村、肘塚村、木辻村、城戸村、油坂村、杉ヶ村、三条村 (奈良県)、芝辻村、畠中村
- 佐保村 ← 法蓮村、法華寺村、半田開村
- 大安寺村 ← 柏木村、大安寺村、八条村
- 辰市村 ← 東九条村、西九条村、杏村
- 平和村 ← 稗田村、美濃庄村、大江村、若槻村、井戸野村、上三橋村、下三橋村、番匠田中村(現・大和郡山市)
- 治道村 ← 白土村、石川村、横田村、櫟枝村、発志院村、中城村、山辺郡新庄村、添下郡番条村、伊豆七条村(現・大和郡山市)
- 櫟本村 ← 櫟本村、和爾村、楢村、森本村、蔵之庄村、中之庄村(現・天理市)
- 五ヶ谷村 ← 中畑村、米谷村、興隆寺村、南椿尾村、北椿尾村、高樋村、虚空蔵村、菩提山村
- 帯解村 ← 窪ノ庄村、池田村、柴屋村、山村、田中村、今市村
- 明治村 ← 北永井村、北之庄村、南永井村、神殿村、出屋敷村
- 東市村 ← 古市村、藤原村、鹿野園村、鉢伏村、白毫寺村、横井村、八島村
- 田原村 ← 茗荷村、此瀬村、杣ノ川村、長谷村、日笠村、中之庄村、誓多林村、横田村、大野村、矢田原村、和田村、南田原村、須山村、沓掛村、中貫村
- 東山村 ← 水間村、別所村(現・奈良市)、室津村、松尾村、桐山村、峯寺村、的野村、北野村(現・山辺郡山添村)
- 月瀬村 ← 尾山村、石打村、長引村、桃香野村、月瀬村
- 柳生村 ← 柳生村、北野山村、柳生下村、丹生村、興ヶ原村、大保村、邑地村
- 大柳生村 ← 大柳生村、坂原村、大平尾村、忍辱山村、大慈仙村
- 東里村 ← 中ノ川村、鳴川村、法用村、平清水村、園田村、南ノ庄村、北村、須川村
- 狭川村 ← 両村、東村、西村、下狭川村、広岡村
- 明治27年(1894年)9月7日 - 櫟本村が町制施行して櫟本町となる。(2町16村)
- 明治30年(1897年)
- 明治31年(1898年)2月1日 - 奈良町が市制施行して奈良市となる。(1町16村)
- 大正12年(1923年)4月1日(1町15村)
- 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 佐保村が奈良市に編入。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)11月3日 - 帯解村が町制施行して帯解町となる。(2町14村)
- 昭和14年(1939年)4月1日 - 東市村の一部(白毫寺)が奈良市に編入。
- 昭和26年(1951年)3月15日 - 大安寺村・東市村が奈良市に編入。(2町12村)
- 昭和28年(1953年)12月10日 - 平和村・治道村が生駒郡郡山町に編入。(2町10村)
- 昭和29年(1954年)1月1日 - 櫟本町が山辺郡丹波市町・朝和村・福住村・二階堂村・磯城郡柳本町と合併して天理市が発足、郡より離脱。(1町10村)
- 昭和30年(1955年)3月15日 - 辰市村・五ヶ谷村・帯解町・明治村が奈良市に編入。(7村)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 東山村が山辺郡波多野村・豊原村と合併して山辺郡山添村が発足。(6村)
- 昭和32年(1957年)
- 昭和43年(1968年)1月1日 - 月瀬村が改称して月ヶ瀬村となる。
- 平成17年(2005年)4月1日 - 月ヶ瀬村が奈良市に編入。同日添上郡消滅。
変遷表
編集自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和20年 | 昭和20年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|---|
奈良町 | 明治31年2月1日 市制 |
奈良市 | 奈良市 | 奈良市 | 奈良市 | |
佐保村 | 大正12年4月1日 奈良市に編入 | |||||
大安寺村 | 大安寺村 | 昭和26年4月1日 奈良市に編入 | ||||
東市村 | 東市村 | |||||
帯解村 | 昭和2年11月3日 町制 |
帯解町 | 昭和30年3月15日 奈良市に編入 | |||
明治村 | 明治村 | 明治村 | ||||
五ヶ谷村 | 五ヶ谷村 | 五ヶ谷村 | ||||
辰市村 | 辰市村 | 辰市村 | ||||
田原村 | 田原村 | 田原村 | 昭和32年9月1日 奈良市に編入 | |||
大柳生村 | 大柳生村 | 大柳生村 | ||||
柳生村 | 柳生村 | 柳生村 | ||||
東里村 | 東里村 | 東里村 | ||||
狭川村 | 狭川村 | 狭川村 | ||||
月瀬村 | 月瀬村 | 月瀬村 | 昭和43年1月1日 改称 月ヶ瀬村 |
平成17年4月1日 奈良市に編入 | ||
治道村 | 治道村 | 昭和28年12月10日 生駒郡郡山町に編入 |
大和郡山市 | |||
平和村 | 平和村 | |||||
東山村 | 東山村 | 東山村 | 昭和31年9月30日 山辺郡山添村の一部 |
山添村 | ||
櫟本村 | 明治27年9月7日 町制 |
昭和29年4月1日 天理市の一部 |
天理市 |
行政
編集- 奈良郡長→堺県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治13年(1880年)4月15日 | |||
明治14年(1881年)2月6日 | 大阪府に移管 |
- 大阪府添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治14年(1881年)2月7日 | |||
明治20年(1887年)11月3日 | 奈良県へ移管 |
- 奈良県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治20年(1887年)11月4日 | |||
明治30年(1897年)3月31日 | 廃官 |
- 添上郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治30年(1897年)8月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集- ^ 旧・都祁村の区域。
- ^ 今昔マップ on the web
- ^ うち、杉原は1876年まで山辺郡に所属
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ ○北村西方・北村東方に分かれて記載。
- ^ ●○法蓮村・半田開村・○不退寺村に分かれて記載。
- ^ 北之庄村南方・北之庄村北方に分かれて記載。
- ^ 奈良各町の総称。本項では便宜的に1町に数える。
- ^ 奈良町に含めて記載。
- ^ 記載は中之庄下村。
- ^ 記載は水間上村。
- ^ 邑地上村・邑地中村・○邑地下村に分かれて記載。
- ^ 桃香野上村・桃香野下村に分かれて記載。
- ^ 忍辱山村・●○忍辱山門前村に分かれて記載。前者が久居藩領、後者が寺社領。
- ^ 旗本領は後に柳生県、寺社除地は後に柳生県・久居県が管轄。
- ^ ○新古山村・○上山村に分かれて記載。
- ^ 後に津県が管轄。
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」には記載がないが、「角川日本地名大辞典」には「旧高旧領」に記載されている石高が掲載されている。
- ^ 大蔵千太郎領、今春八郎領。
- ^ 同年4月27日(1868年5月19日)にかけて移管。
- ^ もともと江戸時代より上手村・中村・下手村の総称だったとする資料もあり。
- ^ この時点では興善院町、東ノ阪町、北御門町、今在家町、今小路町、手貝町、東包永町、東笹鉾町、中御門町、押上町、川久保町、登大路町、油留木町、南半田東町、北半田東町、紀寺町、福智院町、公納堂町、毘沙門町、鵲町、芝突抜町、中院町、鶴福院町、不審ヶ辻子町、納院町、築地ノ内町、川上突抜町、十輪院町、川之上町、十輪院畑町、薬師堂町、木辻町、三棟町、京終町、中辻町、脇戸町、高御門町、陰陽町、勝南院町、元興寺町、西新屋町、芝新屋町、下御門町、中新屋町、阿字万字町、北風呂町、馬場町、北室町、南城戸町、南中町、南風呂町、小太郎町、南袋町、南新町 (奈良県)、鳴川町、瓦堂町、花園町 (奈良県添上郡奈良町)、井上町、京終地方東側町、京終地方西側町、柳町、西寺林町、光明院町、餅飯殿町、西城戸町、小川町、南市町、東寺林町、今御門町、池之町、元林院町、樽井町 (奈良県添上郡奈良町)、橋本町、東城戸町、椿井町、南魚屋町、寺町 (奈良県添上郡奈良町)、奥子守町、北向町、高天町、漢国町、林小路町、角振町、角振新屋町、上三条町、下三条町、本子守町、今辻子町、油阪地方町、西之阪町、百万ヶ辻子町、高天市町、坂新屋町、奥芝町、北市町、菖蒲池町、東新在家町、西新在家町、西新在家号所、船橋町、坊屋敷町、宿院町、鍋屋町 (奈良市)、大豆山町、南法蓮町、内侍原町、北小路町、南半田中町、半田横町、北半田西町、南半田西町、大豆山突抜町、北半田中町、北魚屋東町、多聞町、西包永町、北袋町 (奈良県添上郡奈良町)、西笹鉾町、北川端町、北魚屋西町、後藤町、押小路町、半田突抜町、西御門町、小西町、東向南町、東向中町、東向北町、花芝町、中筋町が存在。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 29 奈良県、角川書店、1990年3月1日。ISBN 4040012909。
- 旧高旧領取調帳データベース