田眼皇女
日本の飛鳥時代の皇族
田眼皇女(ためのひめみこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の皇族。敏達天皇の皇女で、母は推古天皇。舒明天皇の妃。
田眼皇女 | |
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続柄 | 敏達天皇皇女 |
出生 |
敏達天皇14年(585年)以前 |
死去 |
舒明天皇元年(629年)以前? |
配偶者 | 舒明天皇 |
父親 | 敏達天皇 |
母親 | 推古天皇 |
同母の兄弟姉妹に菟道貝蛸皇女(聖徳太子妃)・竹田皇子・小墾田皇女(押坂彦人大兄皇子妃)・鸕鶿守皇女・尾張皇子(橘大郎女父)・桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。
生涯
編集甥の舒明天皇の妃となり、子女は不詳とされている。父・敏達天皇が敏達天皇14年8月15日(585年9月14日)に崩御したことと、同母妹に桜井弓張皇女がいることから判断すると、遅くとも敏達天皇14年の生まれとなり、推古天皇元年(593年)生まれと言われる夫の舒明天皇より8歳以上年上となる。なおかつ桜井弓張皇女は田眼皇女の同母妹であるにも拘らず、舒明天皇の父・押坂彦人大兄皇子の妃となったと言われる。『日本書紀』の舒明紀には舒明天皇の后妃紹介記事に載せられていないことや、敏達・推古両天皇の皇女である彼女よりも天皇との血統が遠い(敏達天皇の曾孫)宝女王(のちの皇極天皇)が舒明天皇の皇后とされている点から、舒明天皇即位前に亡くなったと推測される。ただし、宝女王が実際に舒明天皇の皇后であったのかを疑う説[1]もあり、舒明天皇の后妃に関して『日本書紀』の曲筆の可能性も完全には排除できない。
脚注
編集- ^ 河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理』(吉川弘文館、1986年)P54-60.