稚内駅
稚内駅(わっかないえき)は、北海道稚内市中央3丁目に所在する北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW80[注釈 1]。事務管コードは▲121851[1][2]。現存する日本国内の鉄道駅としては最北に所在する[注釈 2]。
稚内駅 | |
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駅舎(2021年11月) | |
わっかない Wakkanai | |
◄W79 南稚内 (2.7 km) | |
所在地 | 北海道稚内市中央3丁目6-1 |
駅番号 | ○W80 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 259.4 km(旭川起点) |
電報略号 | ワカ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
[* 1]48人/日(降車客含まず) -2022年- |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)12月26日 |
備考 |
日本最北端駅 直営駅(管理駅) みどりの窓口 有 |
歴史
編集稚内における鉄道は、1922年(大正11年)に開業したが、当初の稚内駅は現在の稚内駅の約2 km 南に位置し(南稚内駅の前身、その後移転)[3]、南樺太の大泊へ向かう鉄道連絡船「稚泊航路」への乗船客は徒歩で、貨物は荷車で連絡していた。
この不便を解消するため、1928年(昭和3年)12月26日に稚内港駅(わっかないみなとえき)まで鉄道路線が延伸されたのが、当駅の始まりである[4]。
1936年(昭和11年)には稚内港の北防波堤桟橋が竣工し、さらに防波堤桟橋内への線路延長敷設工事(約850 m)が始まり、1938年(昭和13年)10月1日から防波堤桟橋内(現:北防波堤ドーム内)に稚内桟橋駅(わっかないさんばしえき)を、稚内港駅の構内乗降場の扱いで設置している[注釈 3][4]。
1939年(昭和14年)2月1日に稚内港駅を稚内駅に、稚内駅を南稚内駅に改称した[4]。その後、稚泊航路は1945年(昭和20年)8月以降のソ連軍の南樺太侵攻開始後も樺太からの引揚者輸送に当たり、同年8月24日に稚内港に入港した便を最後に運航停止となって、稚内桟橋駅も実質的に廃止となった[4]。
2010年(平成22年)1月31日には2番線が廃止されたことにより、単線の駅になった。2011年(平成23年)4月3日には「稚内駅前地区第1種市街地再開発事業」に伴う稚内駅再開発ビル「キタカラ」(KITAcolor)に新しい駅舎(4代目)が開業した(「キタカラ」(KITAcolor)は2012年(平成24年)に全面開業した)[5][6]。
年表
編集- 1923年(大正12年)5月1日:稚泊航路開設[3]。
- 1924年(大正13年)11月10日:稚内連絡待合所開設。
- 1928年(昭和3年)12月26日:宗谷線稚内駅(現在の南稚内駅) - 当駅間延伸開業[4][7]。開業時の駅名は稚内港駅(わっかないみなとえき)[4][7]。一般駅。
- 開業時の駅舎は、稚内連絡待合所の建物を改修した上で利用していたと推測されている。「稚泊航路」への連絡を重要としていたため市街地とは反対側の海側に駅舎があった。
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)2月1日:従来の稚内駅を南稚内駅とし、当駅を稚内駅と改称[4]。このときから南稚内駅を当駅駅長の管理下とする[8]。
- 1945年(昭和20年)8月25日:稚泊連絡船運航停止し、稚内桟橋駅が事実上廃止[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1952年(昭和27年)11月6日:南稚内駅移転に伴い、南稚内駅との間のキロ程が1.2 kmから2.7 kmに変更[4]。
- 1965年(昭和40年)10月1日:駅舎建替えにより、3代目駅舎使用開始[9]。
- 1967年(昭和42年)
- 1970年(昭和45年)3月1日:補助コンテナ基地設置[11]。
- 1973年(昭和48年)10月1日:コンテナ基地に昇格[12][13]
- 1975年(昭和50年)11月:南稚内駅 - 稚内駅間の高架工事(全長1.1km)が完成[14]。併せてプラットフォームを50 m 延長し有効長250 m とする[15]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物取り扱い廃止[11][16][17]、名寄駅 - 稚内駅間の貨物列車も廃止となる[17]。
- 1985年(昭和60年)5月:国鉄の余剰人員対策として、構内に国鉄直営の土産店を開設[15]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:新聞紙を除き荷物取り扱い廃止[18]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[19]。
- 1991年(平成3年)10月25日:新聞紙の取り扱い廃止[18]。
- 2000年(平成12年)3月11日:特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」運転開始により、特急列車発着駅となる[9][20]。
- 2006年(平成18年)3月18日:夜行特急「利尻」が季節運転の「はなたび利尻」となる[9][21]。
- 2007年(平成19年)9月30日:臨時夜行特急「はなたび利尻」廃止。夜行列車の運行終了[9]。
- 2010年(平成22年)1月30日:2番線廃止[9][22]。
- 2011年(平成23年)4月3日:前日の営業をもって旧駅舎(3代目駅舎)を閉鎖し、新駅舎暫定開業[9][23]。関連して日本最北端線路地点が約100m南側に移動。営業キロの改キロはなし。
- 2012年(平成24年)
- 2017年(平成29年)4月1日:窓口営業時間を短縮し、早朝・夜間の社員配置が取りやめとなる。
- 2024年(令和6年)11月18日:自動券売機を廃止[27]。
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稚内港駅舎(初代駅舎)(1939年2月)
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現在の北防波堤に接岸している稚泊連絡船「亜庭丸」(撮影月日不詳 鉄道ピクトリアル No.828 p.49より)
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稚内駅舎(3代目)(2009年2月)
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3代目駅舎の入口脇にあった「稚内駅」表示(2006年8月)2020年8月現在ではホームに移設されている。
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最北端の線路と移設前の看板(2005年5月)
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「日本最北端の駅」標柱(2005年5月)
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棒線化工事のための転轍機撤去工事(2010年1月)
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ホームにある「日本最北端の駅」を示す標柱(2018年7月)
駅名の由来
編集市名より。アイヌ語の「ヤㇺワッカナイ(ラテン翻字: yam-wakka-nay)」〔冷たい・水(飲み水)の・川〕から[28]。
駅構造
編集以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年(平成22年)1月30日をもって2番線を廃止し、線路や分岐器、出発信号機、場内信号機が撤去され、棒線化及び停留所化した(現駅舎開業以前は構内踏切(警報機のみ)も設置していた)。これに伴い、南稚内駅から当駅(線路終端)間は1閉塞となり、2列車以上の進入ができなくなった。また、以前の日本最北端の線路として使用していた車止めとレールが、JR北海道から稚内市に寄贈され、駅前広場上のモニュメント「日本最北端の線路」として2012年(平成24年)3月に復元されている。
改札口からホームへ向かう通路はスロープになっており、バリアフリー化している。社員配置駅(現在は南稚内駅の被管理駅)。改札口横にみどりの窓口、指定席券売機(クレジットカード専用)[29]、待合室がある。
なお、当駅は稚内市が整備した複合施設「キタカラ(KITAcolor)」内に入居しているが、「キタカラ」は駅のほかバスターミナル(稚内駅前バスターミナル)、売店や飲食店、コンビニエンスストア、観光協会、地域交流センター、映画館、グループホーム、高齢者住宅を備えた複合施設であり[30]、「道の駅わっかない」として道の駅の指定を受けているほか、稚内港国際・国内フェリーターミナルなどと合わせて「みなとオアシスわっかない」の指定も受けている[31]。
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駅舎内(2015年4月)
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「最北端の線路」看板(2014年4月)
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改札口(2017年10月)
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ホーム(2017年10月)
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車止め(宗谷本線の終端)
(2017年10月) -
復元した「日本最北端の線路」(2012年6月)
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キタカラ(KITAcolor)外観(2012年7月)
かつての配線図
編集かつては稚泊連絡船への接続などを考慮した広大な構内に複雑な配線を施していた。しかし、貨物営業の廃止などにより側線は縮小していき、旅客列車が停車する部分についても棒線化が行われ、現在は分岐器がない駅になった。
← 旭川方 |
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凡例 出典:[32] |
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
また、「稚内市統計書」を基とする値については窓口乗車券発売人員のみの値であり、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1935年(昭和10年) | 71,776 | (196.1) | [* 2] | ||
1949年(昭和24年) | 308,210 | (844.4) | |||
1968年(昭和43年) | 433,355 | (1,187.2) | [33] | ||
1970年(昭和45年) | 364,331 | (998.1) | |||
1975年(昭和50年) | 335,540 | (916.7) | |||
1978年(昭和53年) | 694 | [8] | |||
1980年(昭和55年) | 219,339 | (601.1) | [33] | ||
1985年(昭和60年) | 119,307 | (326.9) | |||
1990年(平成 | 2年)86,553 | (237.1) | 前年度で天北線廃止 | ||
1991年(平成 | 3年)88,674 | (242.3) | |||
1992年(平成 | 4年)87,161 | (238.8) | |||
1993年(平成 | 5年)89,790 | (246.0) | |||
1994年(平成 | 6年)88,011 | (241.1) | |||
1995年(平成 | 7年)88,567 | (242.0) | |||
1996年(平成 | 8年)87,235 | (239.0) | |||
2005年(平成17年) | 53,300 | (146.0) | [* 3] | ||
2006年(平成18年) | 47,450 | (130.0) | |||
2007年(平成19年) | 45,200 | (123.5) | [* 4] | ||
2008年(平成20年) | 43,400 | (119.0) | |||
2009年(平成21年) | 40,150 | (110.0) | |||
2010年(平成22年) | 36,500 | (100.0) | |||
2011年(平成23年) | 38,690 | (105.7) | [* 5] | ||
2012年(平成24年) | 38,690 | (106.0) | |||
2013年(平成25年) | 36,360 | (99.6) | |||
2014年(平成26年) | 34,700 | (95.1) | |||
2015年(平成27年) | 39,100 | (106.8) | 10名以上 | [* 5][JR北 1] | |
2016年(平成28年) | 38,000 | (104.1) | 117.8 | [* 6][JR北 2] | |
2017年(平成29年) | 30,700 | (84.1) | 120.0 | [* 6][JR北 3] | |
2018年(平成30年) | 30,300 | (83.0) | 111.8 | [* 6][JR北 4] | |
2019年(令和元年) | 30,400 | (83.0) | 105.4 | [* 6][JR北 5] | |
2020年(令和 | 2年)16,100 | (44.1) | 106.8 | [* 7][JR北 6] | |
2021年(令和 | 3年)14,200 | (38.9) | 93.8 | [* 8][JR北 7] | |
2022年(令和 | 4年)17,500 | (47.9) | 86.2 | [* 1][JR北 8] | |
2023年(令和 | 5年)89.0 | [JR北 9] |
駅弁
編集かつては優等列車の発着に合わせて、社員1人で調製から販売を行うサンエイ商事の駅弁が立売で売られていたが、2004年1月にその社員が死去したため、それ以後立売は行われなくなった。その後旭川駅立売商会傘下の稚内駅立売株式会社が発足し調製及び販売を行なっている。
2009年(平成21年)6月30日をもって名寄駅が駅弁販売を終了したため[34]、稚内駅が宗谷本線所属駅では唯一の駅弁販売駅になった。主な駅弁は下記の通り[35]。
- こぼれいくら!ほたて弁当
- 四大かに弁当
- かに海鮮御膳
- どっさり海鮮弁当
- かにいくらめし
駅周辺
編集駅前交差点は国道40号の終点、国道232号と北海道道106号稚内天塩線の起点になっている。市街地は南稚内駅周辺まで広がっている。稚内フェリーターミナル、稚内港国際旅客フェリーターミナルまでは車で約2分(徒歩約15分)、稚内副港市場までは車で約3分、稚内市開基百年記念塔・北方記念館のある稚内公園までは車で約15分、ノシャップ岬(野寒布岬)までは車で約15分、稚内空港までは車で約20分(バスで約30分)、宗谷岬までは車で約1時間の距離に位置している。
バス路線
編集宗谷バスのバスが発着する。路線は当該記事を参照。
-
稚内駅前バスターミナル(2021年11月)
その他
編集1995年9月4日に深名線が廃止されて以降、最長片道切符の起点駅となっていたが、2024年4月1日に根室本線富良野駅 - 新得駅間が廃止されて以降は起点駅でなくなった。ただし、運賃計算キロベースで距離を計算した場合は、引き続き起点駅となる。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ a b 曽根悟, p. 14.
- ^ a b c d e f g h i j 曽根悟, p. 15.
- ^ “新駅舎きょう開業*地元グルメも満喫*旭川から記念列車運行”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2011年4月3日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ “飲食店や高齢者住宅が一体*稚内駅ビル 全面開業”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2012年4月29日). 2017年7月25日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h i 『週刊JR全駅・全車両基地 No.60 稚内駅 北見駅 丸瀬布駅ほか77駅』朝日新聞出版、2013年10月13日、4-10頁。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、132頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ a b 曽根悟, p. 16.
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- ^ 『稚内市史』(2) (1999), pp. 720–721.
- ^ a b 『稚内市史』(2) (1999), p. 726.
- ^ 『稚内市史』(2) (1999), p. 730.
- ^ a b 「来月からの国鉄貨物廃止 9線区を認定 本道11線区に」『北海道新聞』1984年1月20日、朝刊。
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- ^ 曽根悟, p. 17.
- ^ “スーパー宗谷デビュー*期待乗せて雪原を疾走*乗客「揺れ少なく静かで快適」「名寄以北は実質値上げ」「乗り換えないのが便利」*鉄道ファン 駅にカメラの列”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2000年3月12日). 2017年7月25日閲覧。
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稚内市資料
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参考文献
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- 三宅俊彦「稚内駅3代記 -さいはての国鉄駅、その歴史の変遷-」『トワイライトゾーンマニュアル』第14巻、ネコパブリッシング、2005年12月、142-160頁。「RMモデルズ臨時増刊号」
- 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』北海道新聞社、2008年。ISBN 9784894534643。 NCID BA87136253。OCLC 236053539。
- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、5-17頁。ASIN B00CKJ3UUG。 NCID BB02545830。OCLC 675812878。
- 三宅俊彦「稚内、南稚内駅の歴史研究」『鉄道ピクトリアル』第828巻、電気車研究会、2010年1月、86-95頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 稚内|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company
- 宗谷本線稚内駅 - カムイミンタラ [リンク切れ]