章憲王
日本の昭和時代前期~平成時代前期の皇族(後に皇籍離脱し、旧皇族)。賀陽宮恒憲王第3王子
章憲王(あきのりおう、1929年〈昭和4年〉8月17日 - 1994年〈平成6年〉11月4日)、のちに賀陽 章憲(かや あきのり)は、日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第3王子。明仁上皇(第125代天皇)の再従兄にあたる。
賀陽 章憲 (章憲王) | |
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昭和初期撮影。 | |
続柄 | 賀陽宮恒憲王の第3王子 |
全名 |
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身位 | 王 →(皇籍離脱) |
敬称 | 殿下 →(皇籍離脱) |
出生 |
1929年(昭和4年)8月17日 大日本帝国・東京府東京市麹町区賀陽宮邸 |
死去 |
1994年11月4日(65歳没) 日本・東京都多摩市 |
配偶者 | 山本良子 |
子女 |
賀陽章子 賀陽正憲 |
父親 | 賀陽宮恒憲王 |
母親 | 恒憲王妃敏子 |
称号:王 | |
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生涯
編集1929年(昭和4年)8月17日誕生。戦時中の1943年(昭和18年)6月15日、明倫中(愛知県立明和高等学校)在学時に、三年の同期生700人と名古屋陸軍幼年学校を訪問した記録が残る。
1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽章憲となる(『官報』 第六二二六号 昭和二十二年十月十四日 告示 宮内府告示第十六号)。戦後に学習院大学を卒業し、第一勧業銀行に勤務した。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[1]
血縁
編集皇籍離脱後も皇室との繋がりは深く、長男賀陽正憲は、第126代天皇徳仁の学友であった。正憲は民間企業に勤務した後国家公務員になった。
系譜
編集章憲王 | 父: 恒憲王(賀陽宮) |
祖父: 邦憲王(賀陽宮) |
曾祖父: 朝彦親王(久邇宮) |
曾祖母: 泉亭静枝子 | |||
祖母: 好子 |
曾祖父: 醍醐忠順 | ||
曾祖母: 不詳 | |||
母: 敏子 |
祖父: 九条道実 |
曾祖父: 九条道孝 | |
曾祖母: 野間幾子 | |||
祖母: 九条恵子 |
曾祖父: 大谷光瑩 | ||
曾祖母: 大谷恒子[注釈 1] |