竹田宮
日本の旧宮家
竹田宮家 | |
---|---|
家祖 |
竹田宮恒久王 ➝北白川宮能久親王の第1王男子(庶長子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 |
東京府東京市芝区高輪南 (現:東京都港区高輪) |
主な根拠地 | 東京都 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
概要
編集1906年(明治39年)3月31日、北白川宮能久親王の第1王男子(庶長子)である恒久王を初代として創設された[1]。本来、宮家を継ぐ嫡子以外の男子は、爵位を賜って臣籍降下(皇籍離脱)することが多かったが、当時は明治天皇の直系の男系子孫が少なかったことから、将来的に皇位を継ぐ可能性を持っていた伏見宮系の宮家との血縁関係を近める意図で、明治天皇の第6皇女である昌子内親王を王妃に迎え、新たに宮家を立てた。
1947年(昭和22年)10月14日、2代・恒徳王の代で皇籍離脱。いわゆる旧皇族の一つである。現在の旧宮家の祭祀継承者は、恒徳王の長男・恒正。
系図
編集北朝3代天皇 崇光天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 栄仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 貞成親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
102代天皇 後花園天皇 | 伏見宮 貞常親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
〔現皇室〕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伏見宮 邦家親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北白川宮 能久親王 | 〔伏見宮家〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初代竹田宮 恒久王 | 〔北白川宮家〕 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2代竹田宮 恒徳王 | 禮子女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3恒正王 | 素子女王 | 紀子女王 | 恒治王 | 恆和 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浩子[注釈 1]。 | 恒貴[注釈 2]。 | 恒昭[注釈 3] | 恒智[注釈 4] | 恒泰 | 恒俊[注釈 5] | 女子[注釈 6] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
-
恒久王(1909年撮影)
-
恒徳王一家(1942年撮影)
その他
編集旧芝区高輪の宮家本邸は、通商産業大臣(当時。現在の経済産業大臣)官邸に使用された後、西武鉄道に売却され、現在では、プリンスホテル(グランドプリンスホテル高輪貴賓館)となっている。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 明治39年宮内省告示第6号(『官報』第6823号、明治39年3月31日)(NDLJP:2950163/17)
- ^ a b 霞会館1996, p. 40.
- ^ 明治天皇玄孫の竹田恒昭を大麻取締法違反で起訴 サンケイスポーツ 2015年9月2日
- ^ “旧皇族復帰プランで浮上、ベールに包まれた「東久邇宮家」に6人の男子”. デイリー新潮. 2024年3月8日閲覧。
- ^ 国士舘大学特任教授 百地章. “男系による皇位の安定的継承を”. 2024年3月8日閲覧。
参考文献
編集- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上』吉川弘文館、1996年。ISBN 978-4642036702。