竹葉瀬
古代日本の人物。上毛野君。上毛野国造。仁徳天皇の時に朝鮮へ派遣された。
竹葉瀬(たかはせ[1])は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の人物。表記は「多奇波世」「竹合」とも。また氏の名を冠して「上毛野竹葉瀬」「上毛野竹合」とも。
記録
編集『日本書紀』仁徳天皇53年5月条によると、新羅に派遣され、新羅が朝貢しないことを問責したという。その途上では、白鹿を獲たので天皇に献上したのち新羅へ向かったと記される。また、のちに新羅と戦った上毛野田道の兄という。
後裔氏族
編集『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。
- 皇別 左京 上毛野朝臣 - 下毛野朝臣同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。(以下略)。
- 皇別 左京 住吉朝臣 - 上毛野同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。
- 皇別 左京 池原朝臣 - 住吉同氏。多奇波世君の後。
- 皇別 左京 桑原公 - 上毛野同祖。豊城入彦命五世孫・多奇波世君の後。
- 皇別 左京 川合公 - 上毛野同氏。多奇波世君の後。
- 皇別 左京 商長首 - 上毛野同氏。多奇波世君の後。三世孫・久比、(以下略)。
『日本書紀弘仁私記』序には「諸蕃雑姓」に注として、
- 「田辺史、上毛野公、池原朝臣、住吉朝臣らの祖、思須美(しすみ)、和徳(わとく)の両人、大鷦鷯天皇(おおさざき-、仁徳天皇)御宇の年、百済国より化来す。しかして言うに、おのれらの祖、これ貴国将軍上野公竹合(たかはせ)なりといえり。天皇、矜憐して彼の族に混ず。しかして、この書に諸蕃人(= 渡来人)というなり。」
とあり[2]、田辺史・上毛野公・池原朝臣・住吉朝臣4氏が百済からの渡来人でありながら、竹葉瀬の後裔を仮冒したことがわかる。
考証
編集『日本書紀弘仁私記』にあるように、竹葉瀬を祖と仮冒する渡来人グループが形成されていた。ここから、上毛野氏が文化・軍事両面において対朝鮮の交渉に携わっていたことが示唆される[2]。
脚注
編集- ^ 竹葉瀬(古代氏族) & 2010年.
- ^ a b 熊倉浩靖「上毛野国(かみつけのくに)から東国(あづま)へ」(『群馬史再発見』あさを社、2001年)。
参考文献
編集- 「竹葉瀬」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。