笠森稲荷
笠森稲荷(かさのもりいなり、かさもりいなり)は、大阪府高槻市にある稲荷神社と、そこから勧請された神社である。笠森稲荷神社、笠森神社(かさのもりじんじゃ)とも呼ばれる。笠の訓読により、瘡(かさ、かさぶた)平癒の神として信仰された。
笠森神社(笠森稲荷)
編集笠森神社 | |
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所在地 | 大阪府高槻市西真上1-7-5 |
位置 | 北緯34度51分28.1秒 東経135度36分11.3秒 / 北緯34.857806度 東経135.603139度座標: 北緯34度51分28.1秒 東経135度36分11.3秒 / 北緯34.857806度 東経135.603139度 |
主祭神 | 宇賀御魂神 |
創建 | 不詳 |
別名 | 笠森稲荷 |
地図 |
大阪府高槻市西真上1-7-5にある稲荷社。
祭神は宇賀御魂神。創建の年月は不明だが、地元の豪族・笠氏が稚武彦命(わかたけひこのみこと)と鴨別命(かものわけのみこと)を祀って創設されたと伝えられる。中世以降は、この地の領主をしていた真上氏の崇敬が厚かったとされる。
笠森は瘡守(かさもり)に通じて、瘡平癒から、皮膚病、梅毒に至るまで霊験があるとされ、江戸時代後期には各地に広まった[1]。
病気平癒を祈って土の団子を供え、治癒すると米の団子を供えることが慣わしになっている。
境内にはムクノキの古木(樹高22.5m、幹周3.54m)があり、高槻市の保存樹木に指定されている(1988年〈昭和63年〉3月1日告示)[2]。
参拝日時
編集開門日: 毎月1日、5日、15日、25日
開門時間: 8:00-17:00
外部リンク
編集江戸の笠森稲荷
編集谷中
編集感応寺(1833年天王寺と改称)の塔頭・福泉院境内にあった稲荷社。(東京都台東区谷中7-6-9)
境内または門前にあった水茶屋「鍵屋」の看板娘・お仙(笠森お仙)が有名であった。
明治に入って福泉院は廃寺となり、稲荷社は東叡山寛永寺の子院である養寿院(台東区上野桜木一丁目15-9)へ遷座した。 跡には明治26年(1893年)に功徳林寺が建立され、境内に改めて笠森稲荷が祀られている。
小石川
編集後に小石川御薬園となる地に勧請された稲荷社。(文京区白山3-7-1)
享和3年(1803年)に大円寺(台東区谷中三丁目1-2)へ遷座し、明治に入り神仏分離によって稲荷社を本地仏・瘡守薬王菩薩として祀った。