紀元前309年
年
紀元前309年(きげんぜん309ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
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十年紀 |
前320年代 前310年代 前300年代 前290年代 前280年代 |
年 |
前312年 前311年 前310年 紀元前309年 前308年 前307年 前306年 |
当時は、「ルキウス・パピリウス・クルソルが独裁官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元445年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前309年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集小アジア
編集ギリシア
編集- カッサンドロスは、アレクサンドロス3世の未亡人ロクサネを長い間収監し、息子のアレクサンドロス4世とともに殺害した。
- アンティゴノス1世は、マケドニア王国の将軍、前摂政で、ペロポネソス半島の一部の支配を保っていたポリュペルコンとの友好関係を再構築しようとした。彼は、アレクサンドロス3世の非嫡出子であるヘラクレスをポリュペルコンの元に送り、条約を結んだ。
- ポリュペルコンは、2万人の歩兵と1000人の騎兵から構成される軍を何とか組織し、カッサンドロスの軍に臨んだが、カッサンドロスは、戦闘の代わりにポリュペルコンとの交渉を開始した。ポリュペルコンを自身の軍の将軍に迎え、ペロポネソス半島の総督にするという提案に対し、ポリュペルコンはヘラクレスへの忠誠を捨て、カッサンドロスについた。その結果、ポリュペルコンはヘラクレスとその母バルシネを殺害した。
- アレウス1世は祖父クレオメネス2世を継いでスパルタ王となった。
- アテナイで国勢調査が行われ、2万1000人の市民、1万人の外国人、4万人のその他の人々(女性、子供、奴隷)が住んでいることが分かった。
カルタゴ
編集- 紀元前480年から、貴族議会がカルタゴを支配するようになった。名ばかりの王のボミルカルは権力を取り戻そうとしたが、失敗に終わり、カルタゴは名実共に共和政に移行した。
- アガトクレスは兄弟にシラクサの守備を続けさせながら、カルタゴを動揺させてシラクサの包囲を解かせるため、北アフリカに上陸し、キレナイカの支配者オフェラスと条約を結んだ。その後彼はカルタゴ市民を動揺させ、街をほぼ征服した。
共和政ローマ
編集- サムニウムは再び共和政ローマに反抗した。ルキウス・パピリウス・クルソルは2度目の独裁官に任命され、サムニウムとの戦いで完勝した。
中国
編集誕生
編集→「Category:紀元前309年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前309年没」も参照
脚注
編集注釈
出典