紀元前357年
年
紀元前357年(きげんぜん357ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
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十年紀 |
前370年代 前360年代 前350年代 前340年代 前330年代 |
年 |
前360年 前359年 前358年 紀元前357年 前356年 前355年 前354年 |
当時は、「ルティルスとインペリオススが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元397年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前357年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集ペルシア帝国
編集トラキア
編集- アテナイの将軍で、傭兵隊長だったカレス (Chares) とエウボイア島の傭兵だったカリデモス (Charidemus) がトラキアのケルソブレプテス王 (Cersobleptes) の支配下にあったトラキアのケルソネソスを、アテナイに奪還した。カリデモスはこの戦功に対して、アテナイから金冠を授けられた。
マケドニア
編集- マケドニア王国の将軍パルメニオンは、イリュリア人に対して大勝利を収める。イリュリア人の脅威から解放されたマケドニア王ピリッポス2世は、アテナイの都市であったアンフィポリス(パンゲオン山脈の金鉱を支配していた)を占領した。この戦略的に重要な都市を押さえたことでマケドニア王国の東の境が安泰となり、トラキアへの進出が可能になった。
- マケドニア王ピリッポス2世は、エピルス (Epirus) のモロッシア人 (Molossians) の王女オリュンピアスと結婚し、マケドニア王国の西の境の安定化を図った。
シチリア
編集- ディオニュシオス1世の義弟で、紀元前366年にディオニュシオス2世によってシュラクサイ(シラクサ)から追放されていたディオンは、ザキントス島に1500人の傭兵を集め、シチリアに渡った。ディオンは、軟弱なディオニュシオス2世から実権を奪い、ディオニュシオス2世は国外追放されてロクリへ逃れた。
中国
編集誕生
編集→「Category:紀元前357年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前357年没」も参照
脚注
編集注釈
出典