紫波郡
人口58,852人、面積306.3km²、人口密度192人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の2町を含む。盛岡都市圏の南部に位置し、人口は増加傾向にある。
郡域
編集明治11年(1878年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町に盛岡市の一部(上飯岡、下飯岡、飯岡新田、永井、津志田、津志田西、津志田町、三本柳、東見前以南)を加えた区域にあたる。
歴史
編集律令期
編集811年(弘仁2年)斯波(後の紫波)・和我・稗縫の「志波三郡」が成立、「胆沢三郡(胆沢・江刺・磐井)」とともに「律令期の六郡」が成立する。812年(弘仁3年)に徳丹城が築かれ政治的機能が移り、志波三郡以北の統帥権も「鎮守府領六郡」として集約される。10世紀、斯波郡の領域が北遷拡大し、岩手郡が斯波郡から分離独立した。一方、磐井郡は国府多賀城領に編入され、岩手・志和・稗抜・和賀・江刺・伊沢の「奥六郡」が成立した[1]。
鎌倉時代足利家氏が斯波郡を所領し、家氏の嫡系子孫が斯波氏を称した。 興国2年/暦応4年(1341年)陸奥の南朝南部氏などが岩手・斯波二郡を平げ、葛西氏等と連合して国府を攻めようとした。斯波家兼が奥州に入部し四管領並立を制すると、同族の高水寺斯波氏が南朝側河村氏を次第に圧迫し、応永3年(1396年)河村秀基はその傘下に下ったという[2]。16世紀半ばに高水寺斯波氏は隆盛を極めるが、のちに南部氏の圧力により逼迫を余儀なくされた。
天正年間に高水寺斯波氏の斯波詮直(最後の斯波御所)が北上川遊覧の折、川底の赤石に陽が射し、紫色に輝く川波を瑞兆として「けふよりは 紫波と名づけん この川の 石にうつ波 紫に似て」と詠み、古代以来「斯波郡」と書いていたものを「紫波郡」に改めたという。また、元来の名は志賀理和気神社(全国最北の式内社)から「志和」と書かれた、という説がある。(この赤石を御神石として引き上げ祀ったので、この神社は後世「赤石神社」とも呼ばれている。)
奥六郡最北となる「岩手郡」の建郡以前に志波城が置かれ、後にこの地が岩手郡となったように、「岩手郡」も元は「志波(斯波・志和)郡」である。斯波氏の旧居城であった高水寺城は天正19年に郡山城と改称され、ほぼ同じ頃に郡名も改められた。
江戸初期において当郡全域が盛岡藩の米穀供給地とされたため、北上川西岸の新田開発が盛んに行われた[3]。
八戸藩分立によって、寛文5年(1665年)土館村、稲藤村、片寄村、平沢村の一部(上平沢村)の4村が、飛地領として編成され、同藩紫波通に属し、単に志和とも書かれていた。
近代以降の沿革
編集幕末時点では陸奥国に所属した。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点の支配は以下の通り。(75村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 陸奥盛岡藩 | 71村 | 手代森村、黒川村、乙部村、大ヶ生村、江柄村、栃内村、北沢村、砂子沢村、根田茂村、上飯岡村、羽場村、下飯岡村、飯岡新田、津志田村、永井村、赤林村、湯沢村、広宮沢村、煙山村、三本柳村、西見前村、東見前村、高田村、藤沢村、北矢幅村、下矢次村、上矢次村、又兵衛新田村、南矢幅村、西徳田村、東徳田村、間野々村、土橋村、北郡山村、太田村、中島村、陣ヶ岡村、高水寺村、白沢村、室岡村、和味村、北伝法寺村、岩清水村、南伝法寺村、小屋敷村、吉水村、上松本村、下松本村、南日詰村、北日詰村、犬淵村、平沢村、宮手村、升沢村、桜町村、日詰新田、二日町新田、西長岡村、東長岡村、山屋村、赤沢村、犬吠森村、草刈村、大巻村、彦部村、星山村、北田村、遠山村、船久保村、紫野村、佐比内村 |
陸奥八戸藩 | 4村 | 土館村、稲藤村、上平沢村、片寄村 |
- 明治元年
- 明治2年7月22日(1869年8月29日) - 白石藩が盛岡藩に転封される。八戸藩領を除く全域が再び盛岡藩の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年1月8日(1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。
- 明治11年(1878年)11月26日
町村制以降の沿革
編集- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町14村)
- 日詰町 ← 日詰新田、桜町村[字上川原・下川原](現・紫波町)
- 古館村 ← 中島村、陣ヶ岡村、二日町新田、高水寺村[字三枚橋を除く](現・紫波町)
- 徳田村 ← 東徳田村、西徳田村、間野々村、北郡山村、土橋村、高田村、藤沢村、高水寺村[字三枚橋](現・矢巾町)
- 見前村 ← 東見前村、西見前村、津志田村、三本柳村(現・盛岡市)
- 飯岡村 ← 上飯岡村、下飯岡村、羽場村、飯岡新田、湯沢村、永井村(現・盛岡市)
- 煙山村 ← 広宮沢村、煙山村、赤林村、又兵衛新田、南矢幅村、北矢幅村、上矢次村、下矢次村(現・矢巾町)
- 不動村 ← 岩清水村、室岡村、太田村、白沢村、北伝法寺村、和味村(現・矢巾町)
- 水分村 ← 上松本村、下松本村、小屋敷村、吉水村、南伝法寺村、宮手村、升沢村(現・紫波町)
- 志和村 ← 土館村、片寄村、上平沢村、稲藤村(現・紫波町)
- 赤石村 ← 北日詰村、南日詰村、犬淵村、平沢村、桜町村[字上川原・下川原を除く](現・紫波町)
- 彦部村 ← 星山村、大巻村、彦部村、犬吠森村[字沼端・沼口・間木沢・境](現・紫波町)
- 佐比内村(単独村制。現・紫波町)
- 赤沢村 ← 赤沢村、船久保村、紫野村、遠山村、北田村、山屋村(現・紫波町)
- 長岡村 ← 東長岡村、西長岡村、江柄村、北沢村、栃内村、草刈村、犬吠森村[字後田・小路口・岩ノ沢・沼田・横田・盆成](現・紫波町)
- 乙部村 ← 乙部村、手代森村、黒川村、大ヶ生村(現・盛岡市)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「岩手紫波地方事務所」が盛岡市に設置され、岩手郡とともに管轄。
- 昭和30年(1955年)
- 昭和41年(1966年)5月1日 - 矢巾村が町制施行して矢巾町となる。(2町1村)
- 平成4年(1992年)4月1日 - 都南村が盛岡市に編入。(2町)
変遷表
編集明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和39年 | 昭和40年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
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日詰新田 | 日詰町 | 日詰町 | 昭和30年4月1日 紫波町 |
紫波町 | 紫波町 | 紫波町 | |
桜町村 | |||||||
赤石村 | 赤石村 | ||||||
日詰村 | 北日詰村 | ||||||
南日詰村 | |||||||
犬淵村 | |||||||
平沢村 | 平沢村 | ||||||
上平沢村 | 志和村 | 志和村 | |||||
土舘村 | |||||||
片寄村 | |||||||
稲藤村 | |||||||
二日町新田 | 古館村 | 古館村 | |||||
中島村 | |||||||
陣ヶ岡村 | |||||||
高水寺村 | |||||||
東長岡村 | 長岡村 | 長岡村 | |||||
西長岡村 | |||||||
江柄村 | |||||||
北沢村 | |||||||
栃内村 | |||||||
草刈村 | |||||||
犬吠森村 | |||||||
彦部村 | 彦部村 | 彦部村 | |||||
星山村 | |||||||
大巻村 | |||||||
佐比内村 | 佐比内村 | 佐比内村 | |||||
赤沢村 | 赤沢村 | 赤沢村 | |||||
舟久保村 | |||||||
紫野村 | |||||||
遠山村 | |||||||
北田村 | |||||||
山屋村 | |||||||
上松本村 | 水分村 | 水分村 | |||||
下松本村 | |||||||
小屋敷村 | |||||||
吉水村 | |||||||
宮手村 | |||||||
升沢村 | |||||||
伝法寺村 | 南伝法寺村 | ||||||
北伝法寺村 | 不動村 | 不動村 | 昭和30年3月1日 矢巾村 |
昭和40年5月1日 町制施行 矢巾町 |
矢巾町 | 矢巾町 | |
岩清水村 | |||||||
太田村 | |||||||
白沢村 | |||||||
室岡村 | |||||||
和味村 | |||||||
徳田村 | 東徳田村 | 徳田村 | 徳田村 | ||||
西徳田村 | |||||||
間之野村 | 間野々村 | ||||||
北郡山村 | |||||||
高田村 | |||||||
十日市村 | 土橋村 | ||||||
藤沢村 | |||||||
煙山村 | 煙山村 | 煙山村 | |||||
矢羽場村 | 南矢幅村 | ||||||
北矢幅村 | |||||||
又兵衛新田 | |||||||
矢次村 | 上矢次村 | ||||||
下矢次村 | |||||||
赤林村 | |||||||
広宮沢村 | |||||||
上飯岡村 | 飯岡村 | 飯岡村 | 昭和30年4月1日 都南村 |
都南村 | 平成4年4月1日 盛岡市に編入 |
盛岡市 | |
下飯岡村 | |||||||
永井村 | |||||||
羽場村 | |||||||
湯沢村 | |||||||
飯岡新田 | |||||||
乙部村 | 乙部村 | 乙部村 | |||||
大ヶ生村 | |||||||
黒川村 | |||||||
手代森村 | |||||||
東見前村 | 見前村 | 見前村 | |||||
西見前村 | |||||||
三本柳村 | |||||||
津志田村 |
行政
編集- 紫波郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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明治11年(1878年)11月26日 | ||||
明治13年(1880年)10月23日 | 廃官 |
- 北岩手・南岩手・紫波郡長
特記なき場合『岩手郡誌』による[5]。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 宮部謙吉 | 明治13年(1880年)10月23日 | 明治25年(1892年)11月1日 | |
2 | 松橋宗之 | 明治25年(1892年)11月1日 | 明治30年(1897年)3月31日 | 廃官 |
- 紫波郡長
特記なき場合『紫波郡誌』による[6]。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 川口浩哉 | |||
2 | 二双石忠治 | |||
3 | 一戸武雄 | |||
4 | 岩崎亀太郎 | |||
5 | 今野良治 | |||
6 | 村松翠之輔 | |||
7 | 吉田一耕 | |||
8 | 杉竹次 | |||
9 | 渡邊寿 | |||
10 | 佐藤民三郎 | |||
11 | 安倍富七 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集- ^ 「奥六郡」と呼ばれた岩手
- ^ 秋田の中世を歩く 大巻館
- ^ 「日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名」平凡社
- ^ a b 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
- ^ 岩手県教育会岩手郡部会 1941, 477頁.
- ^ 岩手県教育会紫波郡部会 1926, 135頁.
参考文献
編集- 岩手県教育会紫波郡部会 編『紫波郡誌』岩手県教育会紫波郡部会、1926年 。
- 『岩手郡誌』岩手県教育会岩手郡部会、1941年 。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302。
- (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X。
- 旧高旧領取調帳データベース