細川 業秀(ほそかわ なりひで)は、南北朝時代武将紀伊国守護細川淡路守護家の出身と考えられるが詳細は不明。

 
細川業秀
時代 南北朝時代
生誕 不明
死没 不明
官位 兵部大輔
幕府 室町幕府 紀伊守護
主君 足利義満
氏族 細川淡路守護家
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概要

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淡路国に拠点があったことから細川淡路守護家の出身と考えられる。永和元年/天授元年(1375年)8月に紀伊守護に任じられ、橋本正督と共に紀伊国にいた南朝方の湯浅氏を平定している。しかし、同4年(1378年)11月2日に正督が南朝方に寝返ったため、業秀は細川頼基山名義理山名氏清らとともにこれを平定した。しかし頼基と義理が帰京した後に再び正督が業秀に攻勢を仕掛けたため淡路国へと帰国した。これによって足利義満から紀伊守護職を解任されている[1][2]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 小川信『細川頼之』(吉川弘文館、1989年)
  2. ^ 佐藤進一『室町幕府守護制度の研究』下巻(東京大学出版会、1967年)
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