細田 義安(ほそだ ぎあん、1903年明治36年)3月14日[1] - 1962年昭和37年)9月28日[2])は、東京都出身の都職員、政治家衆議院議員)、弁護士

経歴

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小平市小川町出身中央大学卒業後東京都総務局長、主税局長を経て[3]第28回衆議院議員総選挙旧東京7区自由民主党より初出馬し当選した。東京都職員時代は都知事であった安井誠一郎と近かった[4]。自民党内では、佐藤派に属した。佐藤派の同期は、後に総理大臣になる竹下登金丸事件で有名な金丸信のみである。第29回総選挙において再選、しかし、任期途中の1962年(昭和37年)9月28日に死亡した。

なお、東京都総務局長時代に、合併により発足した東京都西多摩郡日の出村(細田没後の1974年に町制施行し、現在は日の出町)の名付け親となっている[要出典]

墓は小平市小川町内にある小川寺に存在する(一般に公開されていない)。碑銘は会派のトップであった佐藤栄作の筆による[5]

死後、遺族が小平市育英基金条例に50万円を寄付した[6]

親族

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細田の母ヤイは八王子広徳館長や神奈川県会議員、東京府会議員を務めた林副重の妹である[7]

脚注

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  1. ^ 『大衆人事録 第19版 東京篇』371頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』571頁。
  3. ^ 細田義安 | 衆議院議員 | 国会議員白書”. kokkai.sugawarataku.net. 2019年4月24日閲覧。
  4. ^ 都政を盛り上げた名脇役達”. 東京都交友会. 2019年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月27日閲覧。
  5. ^ 都政研究32(11)(374)”. 都政研究社. 2024年11月14日閲覧。
  6. ^ 小平市育英基金条例”. www.city.kodaira.tokyo.jp. 小平市. 2019年4月24日閲覧。
  7. ^ 由木村はわが故郷”. 小柳鹿蔵. 2024年11月14日閲覧。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第19版 東京篇』帝国秘密探偵社、1956年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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