藤原春継

平安時代初期の貴族。従五位上・常陸介

藤原 春継(ふじわら の はるつぐ)は平安時代初期の貴族藤原南家右中弁藤原黒麻呂の子。官位従五位上常陸介

 
藤原春継
時代 平安時代初期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位上常陸介
主君 嵯峨天皇淳和天皇
氏族 藤原南家巨勢麻呂流
父母 父:藤原黒麻呂、母:縣犬養氏
兄弟 虎王春継虎取諸勝
坂上盛の娘
良尚広基真宗
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経歴

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弘仁14年(823年淳和天皇即位に伴って従六位上から三階昇進して従五位下叙爵天長4年(827年)には従五位上に叙される。また、時期は明らかでないが中務大輔常陸介を務めた。

常陸大目坂上盛の女をめとって、父黒麻呂とともに開発した藻原荘に住み生涯を終え、同荘に埋葬された[1]

春継は、墓所として保全するため藻原荘を興福寺に施入するよう遺言していたが、子の良尚が急死したため、寛平2年(890年)に孫の菅根等が興福寺に施入した[1]

官歴

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注記のないものは『日本後紀』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ a b 『角川日本地名大辞典 12 千葉県』 847頁
  2. ^ 『尊卑分脈』
  3. ^ 『日本三代実録』元慶元年3月10日条

参考文献

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