西端村

日本の愛知県碧海郡にあった村

西端村(にしばたむら)は、かつて愛知県碧海郡にあったである。

にしばたむら
西端村
廃止日 1906年5月1日
廃止理由 新設合併
和泉村城ヶ入村西端村根崎村東端村米津村榎前村(一部)→ 淵辺村
現在の自治体 碧南市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
碧海郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
西端村役場
所在地 愛知県碧海郡西端村
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

現在の碧南市の一部(油渕町、白沢町、札木町、三度山町、坂口町、上町、吹上町、湖西町、長田町、神田町、洲先町、半崎町、平山町)に該当する。

歴史

編集

弥生時代から辺縁集落をなし、古代は幡豆郡に属し志貴庄の中にあったが、1605年慶長10年)矢作川の本流が変わって以来碧海郡に属し、古くは西畠村と称した。

1246年寛元4年)頃、大部分の村民が熊野修験道の影響下にあり(黄葉記)、1409年応永16年)の『熊野道者日記』(大乗院記録)に「浦にしはた」とある。

中世は海辺船着の集落であったが、天台宗の浸透につれて北山・後畑・小清水の洪積台地に移行した。浄土真宗が盛んなのは蓮如との関係が深く、『本願寺伝』によれば1468年応仁2年)蓮如が亀崎(現・半田市)から舟で西端に上陸したときは「畷をへたてて遥かに西畠村の炊煙をのそむ」(上宮寺文書)景観であったという。以後集落は南に延び、上組から中村組・札木・下の切の集落となる。

近世を通じて本多氏の所領であった。本多忠相は1616年元和2年)三河国碧海郡に、城ヶ入村・西端村を合わせて高1000石の領地を与えられ西端村に陣屋を構えたが、のちしだいに加増して1864年元治元年)忠寛の代に1万500石余の大名に列せられ、西端藩を称した。

脚注

編集
  1. ^ 「高取〈高浜市〉」『角川日本地名大辞典 23 愛知県』779頁。

参考文献

編集

関連項目

編集
  NODES