豊岡村 (大分県)

日本の大分県直入郡に1889年から1942年まであった村

豊岡村(とよおかむら[1][2])は、大分県直入郡にあった。現在の竹田市の一部にあたる。竹田町の衛生都市的存在であった[2]

とよおかむら
豊岡村(第一次)
廃止日 1942年4月1日
廃止理由 新設合併
竹田町、豊岡村明治村岡本村竹田町
現在の自治体 竹田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
直入郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,266
国勢調査、1940年)
隣接自治体 明治村、岡本村、竹田町、玉来町松本村宮城村
豊岡村(第一次)役場
所在地 大分県直入郡豊岡村
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とよおかむら
豊岡村(第二次)
廃止日 1954年3月31日
廃止理由 新設合併
竹田町玉来町嫗岳村城原村菅生村豊岡村入田村松本村宮砥村宮城村竹田市
現在の自治体 竹田市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
直入郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,007
国勢調査、1950年)
隣接自治体 竹田町、玉来町、松本村、宮城村
豊岡村(第二次)役場
所在地 大分県直入郡豊岡村
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地理

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稲葉川(飛田川)の流域を主体とした東西に長い村[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、直入郡会々村、飛田川村が合併して村制施行し、豊岡村(第一次)が発足[1][2]。旧村名を継承した会々、飛田川の2大字を編成[2]
  • 1942年(昭和17年)4月1日、県の指導により直入郡竹田町、明治村、岡本村と合併し、竹田町が存続して廃止された[1][2]
  • 1950年(昭和25年)9月1日、分離運動の結果、直入郡竹田町大字会々・飛田川が分立し豊岡村(第二次)が発足[1][2]。会々、飛田川の2大字を編成。
  • 1954年(昭和29年)3月31日、直入郡竹田町、玉来町、嫗岳村、城原村、菅生村、入田村、松本村、宮砥村、宮城村と合併し、市制施行し竹田市を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

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豊後国の豊と岡藩の岡を組み合わせたもの[2]

産業

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交通

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鉄道

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『市町村名変遷辞典』527頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 44 大分県』575頁。

参考文献

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関連項目

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