趙 香雲(ちょう こううん、1116年[1] - 1127年4月15日)は、北宋の徽宗の第26皇女(夭逝を除いて第15皇女)。
徳妃崔氏(後に淑妃、庶人となった)の四女として生まれた。政和6年(1116年)9月、仁福帝姫の位を授けられた。
靖康の変で金軍に拉致され、金の天会5年2月25日(1127年4月15日)、劉家寺の軍基地に死去した。3月24日、開封に帰葬された。諡は順穆。