閬州(ろうしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の四川省北東部に設置された。

概要

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618年武徳元年)、により巴西郡隆州と改められた。712年先天元年)、玄宗の諱を避けるために隆州は閬州と改称された。742年天宝元年)、閬州は閬中郡と改称された。758年乾元元年)、閬中郡は閬州の称にもどされた。閬州は剣南道に属し、閬中南部蒼渓歧坪晋安西水新井奉国新政の9県を管轄した[1]

のとき、閬州は利州路に属し、閬中・南部・蒼渓・西水・新井・奉国・新政の7県を管轄した[2]

1276年至元13年)、により閬州は保寧府に昇格した[3]

脚注

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  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋史』地理志五
  3. ^ 元史』地理志三
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