隅田川駅
隅田川駅(すみだがわえき)は、東京都荒川区南千住四丁目にある、日本貨物鉄道(JR貨物)・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。常磐線貨物支線(隅田川貨物線)上に設置されている。主に東北本線、上越線などのいわゆる北、東方面発着の貨物列車の終着(始発)駅であり、東京貨物ターミナル駅と並ぶ東京の二大貨物駅である。
隅田川駅 | |
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出口専用ゲート(2008年2月) | |
すみだがわ Sumidagawa | |
◄三河島 (3.2 km) (2.5 km) 南千住► | |
所在地 | 東京都荒川区南千住四丁目 |
所属事業者 |
東日本旅客鉄道(JR東日本)* 日本貨物鉄道(JR貨物) |
所属路線 |
常磐線貨物支線 (隅田川貨物線) |
キロ程 | 3.2 km(三河島起点) |
電報略号 | スミ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1896年(明治29年)12月25日[1] |
備考 | 貨物専用駅・旅客乗降不可 |
*旅客の扱いはなく事実上の貨物専用駅 |
鉄道施設としては一般駅であるが、旅客列車の発着はない(同様の駅に、東京貨物ターミナル駅や横浜羽沢駅、仙台貨物ターミナル駅などがある)。
歴史
編集もともとは東北本線や常磐線を建設した私鉄の日本鉄道が、上野駅で取り扱っていた貨物を1890年に開設した秋葉原駅などとともに分散して受け持ち、隅田川駅は常磐炭田からの石炭の受け入れを行うために1897年に設置した駅であった。主に石炭、木材、砂利などの荒荷を取り扱い、隅田川の水運と連絡して東京の市街地への輸送を行っていた[2]。このために水路が隅田川から引き込まれており、構内中央付近には水扱積卸場が存在していた。
戦後はこうした荒荷の取り扱いが減少し、さらに水運との連絡も減少したため、水扱積卸場を埋め立てて構内を改良し、コンテナ扱いに対応した整備を進めることで、首都圏の東北・北海道方面との貨物輸送の拠点として使われてきた。
国鉄分割民営化に際しては、構内に分散していた客貨車区施設が第6ホーム北側に移転集約されている。また、飯田町駅の廃止と飯田町紙流通センターの移転に伴って、従来飯田町駅に到着していた首都圏の新聞・出版産業で消費される紙が隅田川駅に到着するようになった。
駅構内改良工事
編集2012年度(平成24年度)まで、北海道・東北方面への輸送力を増強する目的で「隅田川駅鉄道貨物輸送力増強事業」が実施された。総工費は約46億円で、国の「幹線鉄道等活性化事業費補助」の枠組みにより総工費の30 パーセントの13億8000万円が国庫から補助されている。事業主体は第3セクターの京葉臨海鉄道で、JR貨物は施設を借り受けて利用する枠組みとなっている[3]。
もともと隅田川駅は青函連絡船の輸送能力に合わせてコンテナ車18両に対応する規格で設計されていたが、現在の東北本線のコンテナ列車は最大20両編成となっているため、これに合わせる形での改良を実施した。改良以前において、20両編成に対応しているのは荷役線のうち3線、着発線のうち4線だけであったが、荷役線・プラットホームの4面6線を40 - 50 メートル延長し、第1ホームの短い1線を除く5面9線全てが20両編成対応となった。また着発線は従来の8線から7線に削減されたが、このうち6線が20両編成対応となった。各コンテナホームは一部拡幅して31フィートの大型コンテナの取り扱いが全てのホームで可能になった[3]。
隅田川駅と田端信号場駅の間は単線であり、田端運転所との間での機関車の回送列車が線路容量を圧迫していた。このため構内改良事業では機関車の留置機能も整備することとなり、第6ホーム・田端信号場寄りに設置されている構内本部と信号扱所の建物を撤去して跡地に機関車の留置線を設置した。有効長の短い第5ホームは廃止し、跡地に機関車の仕業検査庫や留置線、フォークリフトの検修庫等を設置した。更に、車扱荷役用高床ホーム(陸1ホーム)を撤去して総合事務所を建設し、機関区・駅構内本部・信号扱所を設置した[4]。
機関区施設の整備に伴い、従前から設置されていた隅田川貨車区に加えて、田端機関区の機能と田端運転所の貨物関係業務を移転し、隅田川機関区とした[5]。
これらの改良により、輸送力は年間22万トンの増強が見込まれている[3]。2013年(平成25年)3月16日のダイヤ改正より供用を開始した[6]。
年表
編集- 1896年(明治29年)12月25日:日本鉄道の貨物駅として開業[1]。
- 1906年(明治39年)11月1日:国有化により官設鉄道の駅となる[1]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により常磐線の所属となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道発足。
- 1964年(昭和39年)10月1日:小荷物の取扱を開始[1](一般駅となる)。上野駅の小荷物機能の大部分を移転。
- 1965年(昭和40年):東京セメント運輸の施設が営業開始。
- 1972年(昭和47年)9月5日:駅構内でコンテナ列車が脱線。2両が車止めを越えて照明用の鉄塔をなぎ倒し、さらに第三運転部の事務所に突っ込んだ。けが人なし。原因はポイントの切り替え操作ミスによるもの[7]。
- 1985年(昭和60年)3月31日:開業88周年記念の団体臨時列車としてサロンエクスプレス東京が入線[8]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:小荷物の取扱を廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本・JR貨物の駅となる[1]。
- 1993年(平成5年)2月24日:「エフ・プラザ隅田川ニッソウセンター」営業開始[9]。
- 1999年(平成11年)7月1日:「エフ・プラザ隅田川IPC棟」営業開始[10]。(飯田町駅廃止により移転)
- 2006年(平成18年)3月18日:東京セメント運輸向けのセメント輸送が終了。
- 2013年(平成25年)3月16日:隅田川駅鉄道貨物輸送力増強事業による改良部分の供用開始。
駅構造
編集地上駅。南北に5面10線のコンテナホームが並び、その西側に1面1線の上屋付有蓋車用貨物ホーム、「エフ・プラザ隅田川IPC棟」の荷役線、ヤマト運輸南千住営業所、東京福山通運隅田川支店、東側には「エフ・プラザ隅田川ニッソーセンター」の荷役線がある。また、仕分け線や留置線なども数本ある。エフ・プラザは、貨物列車で輸送された紙を保管する倉庫として機能している。
コンテナセンターがコンテナ荷役ホーム付近にあり、同じ建物には営業窓口のJR貨物東京営業支店隅田川分室が入っている。隅田川機関区の機関車仕業検査庫や貨車検修施設(旧隅田川貨車区)、IT-FRENS & TRACEシステムの窓口業務を行なう、本社直轄であるI-TEMセンター[11]も同駅構内にある。
かつては、構内北側に東京セメント運輸のセメントサイロ(隅田川営業所)や荷役線2線があり、武州原谷駅(秩父鉄道秩父本線)や東横瀬駅(西武秩父線)、日立駅発送のセメントが到着していたが、2006年に廃止された。
また、1970年ごろまでは東京瓦斯千住工場、1980年代までは日本石油隅田川油槽所(1989年閉鎖)へ続く専用線も存在していた。その専用線には、1926年(大正15年)に竣工した日本初の跳上橋(隅田川駅跳上橋、設計︰山本卯太郎)が1950年代まで存在した。さらに1960年代以前は、舟運の便のために隅田川につながる桟橋も併設していた。
北東部に広がる貨物駅の縮小部分は平成以降に順次再開発が行われ、超高層マンションなどが立ち並んでいる。また、かつては日比谷線の千住検車区との連絡線も存在していた(なお、千住検車区の用地の一部は、当時の帝都高速度交通営団が国鉄から当駅の敷地の一部を譲り受けた部分が含まれる)。
駅配線図
編集 ← (田端貨物線) 田端信号場駅方面 |
→ 北千住・松戸・柏・取手 土浦・水戸方面 |
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↓ 日暮里・上野方面 | ||
凡例 出典:祖田圭介「上野駅をめぐる線路配線 今昔」『鉄道ピクトリアル』2006年11月号 pp. 50-58. 青線は常磐線旅客列車の走行する線路 |
取扱貨物
編集- コンテナ貨物
- 産業廃棄物・特別管理産業廃棄物の取扱許可を得ている。
貨物列車
編集利用状況
編集2011年度の車扱貨物の取扱量は、発送なし、到着なし。コンテナ貨物の取扱量は、発送が607,409トン、到着が797,483トンである。近年の年間発着トン数は下記の通り。
年度 | 総数 | 車扱貨物 | コンテナ貨物 | 出典 | |||
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発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | 発送トン数 | 到着トン数 | ||
1990年 | 897,406 | 1,520,888 | 122,463 | 670,288 | 774,943 | 850,600 | [12] |
1991年 | 876,574 | 1,498,534 | 82,313 | 669,950 | 794,261 | 828,584 | [13] |
1992年 | 862,163 | 1,439,810 | 92,528 | 648,337 | 769,635 | 791,473 | [14] |
1993年 | 848,456 | 1,444,522 | 78,550 | 662,785 | 769,906 | 781,737 | [15] |
1994年 | 865,344 | 1,560,813 | 66,450 | 690,655 | 798,894 | 870,158 | [16] |
1995年 | 848,077 | 1,607,317 | 57,021 | 703,380 | 791,056 | 903,937 | [17] |
1996年 | 849,417 | 1,572,332 | 49,651 | 539,962 | 799,766 | 1,032,370 | [18] |
1997年 | 822,162 | 1,564,824 | 42,600 | 523,327 | 779,562 | 1,041,497 | [19] |
1998年 | 719,494 | 1,366,401 | 26,143 | 432,972 | 693,351 | 933,429 | [20] |
1999年 | 729,442 | 1,406,748 | 25,936 | 456,391 | 703,506 | 950,357 | [21] |
2000年 | 800,695 | 1,523,068 | 25,017 | 502,170 | 775,678 | 1,020,898 | [22] |
2001年 | 791,458 | 1,469,274 | 22,285 | 489,092 | 769,173 | 980,182 | [23] |
2002年 | 747,316 | 1,349,169 | 22,622 | 444,859 | 724,694 | 904,310 | [24] |
2003年 | 818,684 | 1,367,570 | 20,813 | 409,609 | 797,871 | 957,961 | [25] |
2004年 | 778,112 | 1,272,169 | 17,573 | 316,840 | 760,539 | 955,329 | [26] |
2005年 | 797,088 | 1,261,338 | 15,714 | 297,305 | 781,374 | 964,033 | [27] |
2006年 | 814,974 | 1,116,430 | 5,548 | 114,896 | 809,426 | 1,001,534 | [28] |
2007年 | 799,813 | 1,110,292 | 5,226 | 115,364 | 794,587 | 994,928 | [29] |
2008年 | 751,899 | 1,002,923 | 5,226 | 112,891 | 746,673 | 890,032 | [30] |
2009年 | 713,300 | 877,434 | 3,905 | 90,179 | 709,395 | 787,255 | [31] |
2010年 | 645,531 | 854,841 | 1,518 | 35,844 | 644,013 | 818,997 | [32] |
2011年 | 607,409 | 797,483 | 607,409 | 797,483 | [33] |
駅周辺
編集駅周辺には再開発に伴って建築された超高層マンションが広がる。
その他
編集隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c d e f 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、437-438頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 藤井 三樹夫、「河川舟運の衰退と鉄道網形成との関係に関する一考察」、『土木史研究』Vol.17、土木学会、P323-332、1997年
- ^ a b c 「輸送力を増強 北の玄関口・隅田川駅を改良」交通新聞2009年8月4日
- ^ “「隅田川駅鉄道貨物輸送力増強事業」について”. 日本貨物鉄道 (2009年11月11日). 2021年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月15日閲覧。
- ^ 2018年12月16日付『荒川102』記事「JR貨物 隅田川駅 - 明治30年から働き続ける、貨物列車の『北の玄関口』」(2020年9月8日閲覧)
- ^ “「隅田川駅鉄道貨物輸送力増強事業」竣工について” (PDF). 日本貨物鉄道 (2013年2月13日). 2013年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月15日閲覧。
- ^ 「コンテナ列車脱線 隅田川駅」『朝日新聞』昭和47年(1972年)9月6日夕刊、3版。9面
- ^ “「隅田川駅開業88周年記念号」”. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “順調に進む駅近代化構想 JR貨物 貨物駅を立体利用 輸送ニース掘り起こし”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1993年2月17日)
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '00年版』ジェー・アール・アール、2000年7月1日、191頁。ISBN 4-88283-121-X。
- ^ 中村勝臣・土居義夫「JR貨物における情報システムの変遷 - 当時のシステム担当者の見解を中心として - 」『朝日大学経営論集』37巻、2023年3月、pp.47-65(2024年9月5日閲覧)
- ^ 第42回東京都統計年鑑 222ページ
- ^ 第43回東京都統計年鑑 228ページ
- ^ 第44回東京都統計年鑑 222ページ
- ^ 第45回東京都統計年鑑 232ページ
- ^ 第46回東京都統計年鑑 218ページ
- ^ 第47回東京都統計年鑑 236ページ
- ^ 第48回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第49回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第50回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第51回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第52回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第53回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第54回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第55回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第56回東京都統計年鑑 248ページ
- ^ 第57回東京都統計年鑑 266ページ
- ^ 第58回東京都統計年鑑 253ページ
- ^ 第59回東京都統計年鑑 252ページ
- ^ 第60回東京都統計年鑑 257ページ
- ^ 東京都統計年鑑 平成21年 4-16 JR貨物の駅別貨物発着量
- ^ 東京都統計年鑑 平成22年 4-16 JR貨物の駅別貨物発着量
- ^ 東京都統計年鑑 平成23年 4-16 JR貨物の駅別貨物発着量
- ^ “沿革|義肢装具サポートセンター - 公益財団法人 鉄道弘済会”. 公益財団法人鉄道弘済会 義肢装具サポートセンター. 2022年11月15日閲覧。