風戸健二
日本の技術者、実業家
風戸 健二(かざと けんじ、1917年7月 - 2012年6月26日[1])は、日本の技術者、実業家。電子顕微鏡の開発と普及に努め、日本電子を設立した。
来歴
編集千葉県長生郡茂原町(現・茂原市)に生まれる[1]。1938年に海軍機関学校を卒業後、1944年11月からは海軍技術研究所電波研究部に勤め[1]、奮龍の開発などに関わった。海軍在職時に、黒岩大助の著書『電子顕微鏡』を目にして電子顕微鏡への興味を抱いた[3][4]。
太平洋戦争後に電子顕微鏡の開発研究に着手し、1949年に日本電子光学研究所(1961年に日本電子に改称)を設立して社長に就任した[1]。1968年に日本電子顕微鏡学会会長を務める[1]。
没後の2016年、日本電子の伊藤一夫とともに、アメリカ合衆国のChemical Heritage FoundationによるPittcon Heritage Awardを受賞した[5][6]。
脚注
編集- ^ a b c d e f 事業内容、設立と経緯 - 公益社団法人風戸研究奨励会(「風戸健二略歴」を参照)
- ^ 久保島武志「父子 戦場を疾走り抜けた風」『Racing On』447 [特集]風戸裕、2010年、89頁。
- ^ 創造と開発 日本電子の歴史 (PDF) - 「わが社の歴史」『SEAJ Journal』2011年9月号(No.134)、pp.26 - 27
- ^ 黒岩の没後に書かれた追悼文では、風戸や書籍の具体名を挙げない形で黒岩が「この書に触発されて電子顕微鏡の製作所を興して成功を収めたさる会社社長から、後年立派な錦絵を贈られたことがよほど嬉しかったらしく、飲む機会があるとよく自慢話をきかされた」と記されている(孫野長治「黒岩大助氏の死を悼む (PDF) 」 - 『天気』1984年4月号、日本気象学会、p.50)
- ^ 日本電子創設者 Pittcon Heritage Awardを受賞 - 日本電子プレスリリース(2016年3月24日)
- ^ “JEOL Founders Recognized with Pittcon Heritage Award”. Pittcon (March 24, 2016). 2017年7月23日閲覧。