鹿島町 (石川県)
日本の石川県鹿島郡にあった町
鹿島町(かしままち)は石川県能登地方にあった町。鹿島郡に属していた。
かしままち 鹿島町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2005年3月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 鳥屋町・鹿島町・鹿西町→中能登町 | ||||
現在の自治体 | 中能登町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(北陸地方) | ||||
都道府県 | 石川県 | ||||
郡 | 鹿島郡 | ||||
市町村コード | 17404-1 | ||||
面積 | 47.58 km2 | ||||
総人口 |
9,057人 (2004年12月1日) | ||||
隣接自治体 |
石川県:羽咋市、七尾市、鹿島郡鳥屋町、鹿西町 富山県:氷見市 | ||||
鹿島町役場 | |||||
所在地 |
〒929-1892 石川県鹿島郡鹿島町井田4部1番地1 | ||||
外部リンク | 鹿島町(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯36度57分54秒 東経136度55分05秒 / 北緯36.96494度 東経136.91806度座標: 北緯36度57分54秒 東経136度55分05秒 / 北緯36.96494度 東経136.91806度 | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集能登半島の中ほどに位置した。
- 山:石動山
歴史
編集沿革
編集行政
編集町長
編集代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
小林昌幸 | 1955年(昭和30年)1月1日 | 1955年(昭和30年)1月22日 | 町長職務執行者 | ||
1 | 1 | 田中平治 | 1955年(昭和30年)1月23日 | 1959年(昭和34年)1月22日 | |
2 | 1959年(昭和34年)1月23日 | 1963年(昭和38年)1月22日 | |||
3 | 1963年(昭和38年)1月23日 | 1967年(昭和42年)1月22日 | |||
4 | 2 | 笠間嘉一 | 1967年(昭和42年)1月23日 | 1971年(昭和46年)1月22日 | |
5 | 3 | 諏訪俊雄 | 1971年(昭和46年)1月23日 | 1975年(昭和50年)1月22日 | |
6 | 1975年(昭和50年)1月23日 | 1976年(昭和51年)6月30日 | [1] | ||
山本一平 | 1976年(昭和51年)6月30日 | 1976年(昭和51年)7月7日 | 助役、職務代理 | ||
7 | 4 | 辻本正也 | 1976年(昭和51年)7月7日 | 1979年(昭和54年)1月22日 | |
8 | 1979年(昭和54年)1月23日 | 1983年(昭和58年)1月22日 | |||
9 | 1983年(昭和58年)1月23日 | 1987年(昭和62年)1月22日 | |||
10 | 1987年(昭和62年)1月23日 | 1991年(平成3年)1月22日 | |||
11 | 1991年(平成3年)1月23日 | 1995年(平成7年)1月22日 | |||
12 | 1995年(平成7年)1月23日 | 1999年(平成11年)1月22日 | |||
13 | 5 | 長澤隆静 | 1999年(平成11年)1月23日 | 2003年(平成15年)1月22日 | |
14 | 2003年(平成15年)1月23日 | 2005年(平成17年)2月28日 |
- 町長 - 長澤 隆静(ながさわ・りゅうじょう)
庁舎
編集鹿島町役場として使用されていた庁舎が合併後、中能登町鹿島庁舎(中能登町井田4部1番地)として利用されていたが、老朽化のため2021年1月29日に閉庁した[2]。
教育
編集中学校
編集- 町立鹿島中学校
小学校
編集- 町立久江小学校(休校)
- 町立越路小学校
- 町立越路小学校在江分校
- 町立滝尾小学校
- 町立御祖小学校
交通
編集鉄道
編集道路
編集- 一般国道
- 県道
観光
編集- 石動山(大宮坊、旧観坊)
- 不動滝
脚注
編集- ^ 1974年12月の町長選挙の結果は最高裁まで争われ、1976年6月30日に辻本の当選が認められ諏訪は失職した。
- ^ 鹿島、鹿西庁舎が閉庁 中能登町 『北國新聞』2021年1月30日、2021年1月30日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 中能登町役場鹿島庁舎 - 中能登町
- 鹿南合併協議会