黒咲一人
日本の漫画家
略歴
編集中学を卒業後、集団就職で名古屋の鉄工所に就職。その傍ら、プロをめざしてボクシングジムに通った。漫画を描き始めたのは「元手がなくてもできる」という理由からだという[1]。
投稿した漫画が採用されたことをきっかけに上京し、19歳で単行本デビュー。ボクシング漫画『傷だらけの挑戦』だった。ただ、本はほとんど売れなかったという[1]。しかし、このままでは終われんと一念発起、漫画に集中できるだけのカネを貯めようと川崎の工事現場で働き、それをネタにした漫画を『週刊少年ジャンプ』に持ち込み、そのままジャンプ編集部に居候のようなかたちで転がり込んだ[1]。
1979年、『週刊ヤングジャンプ』が創刊され、飯場やホームレスの男性がけんかの代理業で稼ぐ『無頼風』を連載。毎週、本宮ひろ志と人気トップを争うなど、連載は3年間続いた[1]。
しかし、2003年には仕事が途絶え、漫画家を一旦廃業。すべての原稿を処分し[2]、「遺書と、万が一の場合の埋葬費10万円をバックに忍ばせて」[1]四国遍路の旅に出る。
2004年1月、88の札所を回り終える。7月からは旅の体験を「55歳の地図 実録!リストラ漫画家遍路旅」として『週刊漫画ゴラク』に連載。その後、単行本化・電子書籍化もされた。
2013年9月、自転車で日本列島縦断の旅に出る。高知県高知市の種崎千松公園で野宿中の翌年5月、高知新聞の取材を受け、5月16日付けの「金曜フリースペース」で報じられる。記事の最後は「この腕が動かなくなるまで描き続けますよ。誰も見たことがない、自分しか描けない漫画を」という本人の言葉で締め括られている[1]。
作品
編集単行本
編集- ファイター幻(1977年、集英社、全4巻)
- 風のがくらんらん(1983年、ジェッツコミックス、白泉社、全1巻)
- 吹けよ!疾風(1985年、全2巻)
- ハスラー・ザ・キッド(全5巻)
- 無頼風(全7巻)
- 宇宙遊撃隊 りぼるばあ(1988年、ぶんか社、全1巻)
- ザ・ボクサー(全2巻)
- 激駿ドンガメオー(1992年、全2巻)
- 黄土の奔流(1992年、ヤングジャンプ・コミックス、全1巻)※生島治郎の冒険小説『黄土の奔流』のコミック化
- がくらん無頼(全2巻)
- 風の隼(全1巻)
- 野球無頼(全1巻)
- 55歳の地図(2005年、週刊漫画ゴラク、日本文芸社、全1巻)
電子書籍
編集- 55歳の地図 Again(全1巻) - 特製ネームブック
- 55歳の地図 Again~虹の峠から~(全1巻)- 特製ネームブック
読切
編集- YABU(1990年、ヤングジャンプ30 1990.9.10増刊、集英社)