1986年の相撲
1986年の相撲(1986ねんのすもう)は、1986年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
編集できごと
編集- 1月,1月場所初日に横綱隆の里が保志に敗れ翌二日目に引退を発表。初日、昭和天皇観戦。協会役員改選で春日野理事長を7選。二子山が理事長代行に就任。
- 3月、大阪府立体育会館が建て替えのため、この年だけ大阪市中央体育館で開催。
- 4月、大山親方(元大関松登)死去、61歳。東関部屋が墨田区東駒形で土俵開き。昭和天皇在位60年記念式典が両国国技館で行われた。
- 5月、5月場所初日、来日中のイギリスのチャールズ皇太子・ダイアナ妃夫妻が相撲観戦。8日目、昭和天皇観戦。
- 6月、元前頭5枚目琴千歳が引退、世話人に転向。荒汐親方(元十両5枚目豊ノ花)死去、63歳。
- 7月、7月場所12日目、連続出場1630回の史上1位の記録を残して、元関脇青葉城引退、年寄不知火襲名。場所後、北尾の横綱推挙決定。双羽黒に改名。1横綱時代を解消した。しかし、優勝経験なしの横綱昇進には反対論もあった。保志の大関昇進も決まり、北勝海に改名。
- 8月、中村部屋が江戸川区中央で土俵開き。
- 9月、9月場所8日目、昭和天皇観戦。元関脇開隆山死去、47歳。元前頭2枚目三杉磯引退、年寄峰崎襲名。
- 10月、パリ公演。7日に出発し16日に帰国。元前頭筆頭天ノ山引退、年寄立田山襲名。元前頭2枚目寶國(斉須)引退、世話人に転向。
本場所
編集- 一月場所(両国国技館・12日~26日)
- 三月場所(大阪市中央体育館・9日~23日)
- 五月場所(両国国技館・11日~25日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(13勝2敗,16回目)
- 殊勲賞-旭富士、敢闘賞-保志
- 十両優勝 : 竹葉山真邦(11勝4敗)
- 七月場所(愛知県体育館・6日~20日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,17回目)
- 殊勲賞-保志、敢闘賞-水戸泉、技能賞-琴ヶ梅
- 十両優勝 : 三杉里公似(11勝4敗)
- 九月場所(両国国技館・14日~28日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(14勝1敗,18回目)
- 殊勲賞-小錦、敢闘賞-寺尾、技能賞-逆鉾
- 十両優勝 : 騏ノ嵐和敏(12勝3敗)
- 十一月場所(福岡国際センター・9日~23日)
- 幕内最高優勝 : 千代の富士貢(13勝2敗,19回目)
- 殊勲賞-小錦、敢闘賞-益荒雄、技能賞-霧島
- 十両優勝 : 栃乃和歌清隆(10勝5敗)
- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):千代の富士貢(68勝10敗12休)
誕生
編集- 4月5日 - 魁猛(最高位:十両10枚目、所属:放駒部屋→芝田山部屋)[1]
- 4月6日 - 豪栄道豪太郎(最高位:大関、所属:境川部屋、年寄:武隈)[2]
- 6月19日 - 碧山亘右(最高位:関脇、所属:田子ノ浦部屋→春日野部屋、年寄:岩友)[3][4]
- 7月3日 - 稀勢の里寛(第72代横綱、所属:鳴戸部屋→田子ノ浦部屋、年寄:二所ノ関)[5]
- 7月28日 - 北磻磨聖也(現役力士、所属:北の湖部屋→山響部屋)[6]
- 8月21日 - 荒鷲毅(最高位:前頭2枚目、所属:荒磯部屋→花籠部屋→峰崎部屋)[7]
- 8月22日 - 德勝龍誠(最高位:前頭2枚目、所属:木瀬部屋→北の湖部屋→木瀬部屋、年寄:千田川)[8][9]
- 9月23日 - 皇風俊司(最高位:前頭13枚目、所属:尾車部屋)[10]
- 10月11日 - 勢翔太(最高位:関脇、所属:伊勢ノ海部屋、年寄:春日山)[11]
- 10月22日 - 妙義龍泰成(最高位:関脇、所属:境川部屋、年寄:振分)[12][13]
- 12月16日 - 鳰の湖真二(現役力士、所属:北の湖部屋→山響部屋)[11]
- 12月18日 - 魁聖一郎(最高位:関脇、所属:友綱部屋→大島部屋、年寄:友綱)[14]
死去
編集- 3月21日 - 大蛇潟金作(最高位:前頭筆頭、所属:錦島部屋、* 1919年【大正8年】)[15]
- 4月1日 - 山口利夫(柔道家、プロレスラー、最高位幕下付出、* 1914年【大正3年】)
- 4月21日 - 松登晟郎(最高位:大関、所属:大山部屋、年寄:大山、+ 1924年【大正13年】)[16]
- 6月21日 - 豊ノ花光義(最高位:十両5枚目、所属:荒汐部屋→双葉山道場→時津風部屋、年寄:荒汐、* 1923年【大正12年】)
- 8月10日 - 隠岐ノ島恵一(最高位:十両7枚目、所属:時津風部屋、* 1934年【昭和9年】)
- 9月3日 - 小戸ヶ岩龍雄(最高位:前頭15枚目、所属:若藤部屋、* 1914年【大正3年】)[17]
- 9月5日 - 荒岐山正(最高位:前頭11枚目、所属:時津風部屋、* 1940年【昭和15年】)[18]
- 9月10日 - 開隆山勘之亟(最高位:関脇、所属:荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋、* 1939年【昭和14年】)[19]
- 10月22日 - 愛知山春雄(最高位:前頭4枚目、所属:立浪部屋、* 1922年【大正11年】)[20]
- 12月20日 - 國ノ濱源逸(最高位:前頭5枚目、所属:井筒部屋、* 1906年【明治39年】)[21]
出典
編集- ^ 「相撲」編集部編『平成二十四年度 大相撲力士名鑑』(ベースボール・マガジン社) 34頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 268頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 281頁
- ^ 「元関脇・碧山が引退 年寄・岩友を襲名…日本相撲協会発表」『スポーツ報知』2024年9月24日。2024年9月24日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 262頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 294頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 289頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 287頁
- ^ 「20年初場所優勝の37歳徳勝龍が引退、年寄「千田川」襲名 日本相撲協会が発表」『日刊スポーツ』2023年9月12日。2023年9月12日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 284頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 283頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 280頁
- ^ 「元関脇妙義龍が引退、年寄「振分」を襲名 09年夏場所で初土俵 技能賞6回、金星6個」『日刊スポーツ』2024年9月24日。2024年9月24日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 277頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 117頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 130頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 101頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 155頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 153頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 110頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 76頁
参考文献
編集- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p90