アーサー・ダヴArthur Garfield Dove; 1880年8月2日 - 1946年11月23日)は、アメリカの抽象系の画家[1]

アーサー・ダヴ
Arthur Dove
アーサー・ダヴ作「シンボル化された自然」(1911年)
生誕 1880年8月2日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国,カナンデイグア
死没 1946年11月23日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国, ハンティントン
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抽象絵画を描いた、最初期の画家(ヨーロッパを含めても最初期ということができる)。

略歴

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ニューヨークの裕福な家に生まれた。父親は成功したレンガ工場の経営者だった。隣人のアマチュア画家から絵を学び、ホバート・カレッジ(Hobart College)、コーネル大学で学び、1903年に卒業した。大学時代に大学の年鑑に描いた挿絵が好評であったこともあって、商業美術の道に進み、人気が出て、「ハーパーズ・マガジン」や「サタデー・イブニング・ポスト」にイラストが採用されるようになった。結婚した後、1907年に妻とパリに移り、パリの前衛的な画家のグループに参加した。パリではアンリ・マティスフォーヴィスムの画家たちの作品に興味を持った。1908年と1909年にパリのサロン・ドートンヌに作品を出展した。アメリカに戻った後は、イラストレーターの仕事を辞め、郊外で農業をしながら絵を描いた。1909年にニューヨークに画廊を開き前衛芸術の普及をはかったアルフレッド・スティーグリッツと知り合い、スティーグリッツの画廊で展覧会をするように勧められ、1910年に若いアメリカの芸術家のグループ展に作品を出展し、1912年に最初の個展をスティーグリッツの291ギャラリーで抽象絵画作品による個展を開く。

ダヴの作品は、ヨーロッパにおける抽象絵画の源泉となっているキュビスム表現主義のいずれの影響もあまり受けておらず、アメリカ独自の、一種土着性の強い、アメリカの土地や自然(山・空・太陽・雲・雷・湖・植物・動物など)に根ざした、抽象絵画といえる。その意味では、(少なくとも初期の作品は)描き写す対象が全くない「絶・対象」というタイプの抽象絵画ではなく、また、外見的には(描かれている意味内容は異なると思われるが)、カラフルで有機的なフォルムの多いカンディンスキーの一部の作品との類似性もうかがわれる。

1996年、埼玉県立近代美術館他で開催された『アメリカン・モダンの旗手たち フィリップス・コレクションによる スティーグリッツオキーフマリンハートリー、ダヴ』において紹介されているが、日本での大規模な個展はまだ開催されていない。

作品

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脚注

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  1. ^ Roberts, Norma J., ed. (1988), The American Collections, Columbus Museum of Art, p. 72, ISBN 0-8109-1811-0, https://archive.org/details/americancollecti0000colu/page/72 .

参考文献

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  • D. Newman: Arthur Dove and Duncan Phillips, Artist and Patron. George Braziller Inc., 1981, ISBN 0-8076-1019-4.
  • Debra Bricker Balken Arthur Dove: A Retrospective. MIT Press, 1997 ISBN 0-262-02433-0.
  • Melanie Kirschner: Arthur Dove: Watercolors and Pastels. George Braziller Inc., 1999, ISBN 0-8076-1447-5.
  • Debra Bricker Balken: Arthur Dove: A Catalogue Raisonne of Paintings and Things. Yale University Press, 2021, ISBN 0-3002-5165-3.

外部リンク

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