ジョスラン
ジョスラン (Josselin、ブルトン語:Josilin)は、フランス、ブルターニュ地域圏、モルビアン県のコミューン。
Josselin | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルターニュ地域圏 |
県 (département) | モルビアン県 |
郡 (arrondissement) | ポンティヴィ郡 |
小郡 (canton) | ジョスラン小郡 |
INSEEコード | 56091 |
郵便番号 | 56120 |
市長(任期) |
ジョセフ・セヴェノ (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de Communes du Pays de Josselin |
人口動態 | |
人口 |
2582人 (2006年[1]) |
人口密度 | 576人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯47度57分24秒 西経2度32分50秒 / 北緯47.9566666667度 西経2.54722222222度座標: 北緯47度57分24秒 西経2度32分50秒 / 北緯47.9566666667度 西経2.54722222222度 |
標高 |
平均:30m 最低:32m 最高:93 m |
面積 | 4.48km2 |
公式サイト | Site officiel de la commune |
丘の中腹にスレート屋根の中世の家々が広がり、ロアン城が穏やかにウスト川に映る、ジョスランは絵のような光景を見せる。ガロ語圏とブルトン語圏の境界線上にあり、かつてのポルオエ子爵領の中心地である。レンヌからロリアン間の高速道路途上、ナント・ア・ブレスト運河沿いにある。
歴史
編集この小さなまちの特徴は観光というよりむしろロアン公爵の居城であったロアン城にある。最初はロアン城に9つの塔があったが、現在はたった4つしかない。城は1629年にリシュリュー枢機卿によって一部が壊されている。
ジョスランとプロエルメルの中間にある場所は、ブルターニュ継承戦争中の30人の戦いの舞台である。
史跡
編集- ノートルダム・デュ・ロンシエ教会 - 12世紀後半に建てられたが数度の拡張と修復が行われている。オリヴィエ・ド・クリッソンと妻マルグリット・ド・ロアンの横臥像を収める。
- 処女の泉 - 奇跡の泉の名称で知られる。
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ジョスラン城
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ノートルダム・デュ・ロンシエ教会
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処女の泉
人口統計
編集1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 |
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2231 | 2283 | 2611 | 2548 | 2338 | 2419 | 2582 |
教育
編集2007年秋、ジョスランの児童の17.1%がブルトン語との二言語学校に在籍していた[2]。
ゆかりの人物
編集- オリヴィエ・ド・クリッソン
- ジョスラン・ド・ロアン(fr) - 第14代ロアン公爵。ジョスランの元首長。現在はモルビアン県選出の元老院議員
姉妹都市
編集脚注
編集- ^ données officielles 2006 sur le site de l’INSEE
- ^ Ofis ar Brezhoneg: Enseignement bilingue