ダイバーの墓
ダイバーの墓(イタリア語: Tomba del tuffatore、英語: Tomb of the Diver)はイタリアに存在した紀元前5世紀頃の古代人の墓。マグナ・グラエキア(現在のイタリア南部)のギリシア都市パエストゥムの南約1.5kmに存在する小規模なネクロポリスを考古学者の Mario Napoli が1968年6月に発掘調査した際に発見された。現在はパエストゥムの博物館に収蔵されている。
概要
編集自然の岩を掘削してできた床面と、地元で取れた石灰岩を厚い板状に加工した側板4点および蓋1点で構成された墓である。板石は漆喰が丁寧に施され、側板は215 x 100 x 80 cm の箱状に配置されていた。5枚の板石は内側にフレスコ技法の絵が施されている。4側面の板石にはシュンポシオン(響宴)の様子が描かれ、蓋の板石には墓の名称の由来になった若い男性が渦巻き波打つ水面に飛び込む様子が描かれている。二人以上の絵師が携わったとみられ、南面は他の面と比べて技術的な評価が低い[1]。
墓が発見された際の予期せぬフレスコ画の発見でその重要さが明らかになり、「オリエンタルを起点とし、アルカイック時代とクラシカル時代をくぐり抜けたギリシア絵画の唯一の例だ。この時代(紀元前700-400年)のギリシャ様式の墓は数百点が知られているが、フレスコで人物が描かれた例として唯一のもの。」[2]と評された。
墓の内部からは、数点の遺物が発見されている。遺骸(骨の状態は良くないが、若い男性と推測される)の傍には亀の甲[3]、2点のアリュバロス(arýballoi)、アッティカ式のレキュトスが置かれていた。アリュバロスはレスリングの訓練の際に使っていた香油容器と考えられ、レキュトスは彼の好んだ飲料カップとみられている。レキュトスには紀元前480年頃の黒絵式技法の装飾が施されていたため、墓の発見者と他の考古学者は墓の年代を紀元前470年頃と推測している。
ギャラリー
編集 蓋の全面(内側) |
シュンポシオン、北面 |
北面の一部分 |
シュンポシオン、南面。他の面と異なる絵師によると思われる |
脚注
編集参考文献
編集- R. Ross Holloway. The Tomb of the Diver, in American Journal of Archaeology, Vol. 110, n. 3, July 2006 (pp. 365–388).
- Angela Pontrandolfo, Agnès Rouveret, Marina Cipriani. The painted tombs of Paestum. Pandemos Editions, Paestum, 2004 ISBN 88-87744-11-4; other versions: French ISBN 88-87744-13-0; German ISBN 88-87744-12-2; Italian ISBN 88-87744-10-6;
- Agnès Rouveret. La Tombe du Plongeur et les fresques étrusques: témoignages sur la peinture grecque, dans Revue Archéologique, 1974, Fascicule 1, pp. 15–32.
- Pierre Somville. La tombe du plongeur à Paestum, dans Revue de l'histoire de Religions.Paris, PUF, Tome 196, fascicule 1, July 1979, pp. 41–51.
- Daisy Warland. La Tombe du Plongeur: Étude de la relation entre le symposion et le plongeon. dans Revue de l'histoire de Religions. Paris, PUF, Tome 213, fascicule 2, 1996, p. 143–60 – Abstract on line 23 August 2007. accessed 20 September 2007.
- Daisy Warland. Que représente la fresque de la paroi Ouest de la tombe au plongeur de Poseidonia?, in Kernos, 1999, n. 12, p. 195–206.