ドイツ祖国党
ドイツ祖国党(ドイツそこくとう、ドイツ語: Deutsche Vaterlandspartei、略称: DVLP)は、第一次世界大戦末期のドイツに存在した極右政党ないし大衆組織[2]。1917年7月にドイツ帝国議会で採択された和解による講和を求める平和決議に反対し、あくまで勝利による平和を主張する保守派によって結成された[2]。
ドイツ祖国党 Deutsche Vaterlandspartei | |
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議長 | アルフレート・フォン・ティルピッツ |
副議長 | ヴォルフガング・カップ |
成立年月日 | 1917年9月2日 |
解散年月日 | 1918年12月10日 |
後継政党 | ドイツ国家人民党 |
本部所在地 |
ドイツ帝国 プロイセン王国、ベルリン |
党員・党友数 |
125万人 (1918年夏[1]) |
政治的思想・立場 |
極右 保守主義 階級協調 反ユダヤ主義 |
公式カラー | 黒 白 赤 |
ドイツ帝国の敗戦に伴い、その存在意義を失い解散した。
脚注
編集参考文献
編集- 山田義顕「ドイツ祖国党 1917-1918」『人文学論集』第4巻、大阪府立大学人文学会、1986年、17-30頁、doi:10.24729/00004685、ISSN 02896192、NAID 120006720829。