フランス元帥(フランスげんすい、フランス語: Maréchal de France, 複数形: Maréchaux de France)は、フランス軍軍人に与えられる称号

現在の元帥杖
フランス元帥の臂章

現在、1972年7月13日の法律第4条には「フランス陸軍元帥及びフランス海軍元帥の称号は、国家より与えられる栄誉である」と定められており、個別の階級でなく名誉称号や栄典にあたる。そのため、最終階級として元帥に任じられることはない。ただし、個別の階級章は存在する。

また、他国の元帥位が原則として大将からの昇格であるのに対し、特別な武功を立てた将校に授与されると規定されているため、例として第一次世界大戦時の総司令官であったフェルディナン・フォッシュは戦功を称えられフランス元帥に叙されたが、最終階級は中将であった。

1185年に栄典が創設されて以来、342人の将校がフランス元帥に叙された。また、そのうち6人は、フランス大元帥というさらに高位の栄典を授与された。

陸軍大将が五つ星の臂章をつけるのに対して、フランス元帥は七つ星の臂章(高官の階級章)を身につけ、さらに、元帥位のもう一つの象徴である星をちりばめた青いビロード張りの元帥杖を授与される。そこにはこう銘記されている「Terror belli, decus pacis」(戦時には恐るべく、平時には輝かしく)と。

歴史

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君主制の時代

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初めの頃、フランス元帥の役割は王の馬を管理するだけだった。13世紀初頭、フランス元帥はコンスタブル(またはコネターブル英語版、騎兵隊)隷下として軍に組織された。軍の栄典として初めて王からフランス元帥を授与された人物は、フィリップ2世によりMezの領主に任命されたアルベリク・クレマン(Gauthier III de Nemours)で、1185年のことだった。

1624年リシュリューがコンスタブル職を廃止した後は、フランス元帥が軍の最高司令官となった。元帥の中でもさらに王の信任を受けた人物は、「国王の陣営と軍隊の大元帥」(フランス大元帥)を授与されることもあった。

それらの任務に加えて、国家憲兵隊の前身である「maréchaussee」(近衛騎兵隊)への国の命令を管理する任務も遂行した(この国の命令は、元帥の長官の仲介者を通して通達された)。

この栄典がいったん廃止される1793年までにフランス元帥になった人物は263人いた。

フランス革命、帝政から19世紀にかけて

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元帥号は、1793年2月21日に国民公会により廃止された。

1804年5月18日fr:sénatus-consulte (上院、元老院の法令)は「帝国元帥」を規定した。フランス第一帝政下で「フランス帝国の元帥」について全ての面で明確にされた。

フランス復古王政では、帝国元帥はフランス元帥になる。

1839年8月4日の法律では、フランス元帥の定員は平時の6人以上であり、戦時で12人に増員できることを規定している。平時の定員を超えている場合は、さらに3人の欠員を昇進させることができる。

フランス第二帝政下では、ナポレオン3世は称号を変えなかった。フランス元帥は元老院の正規のメンバーとなった。

フランス第三共和政下では、元帥の職権が帝政を強くイメージさせるため、第一次世界大戦以前にフランス元帥が授与されることはなかった。最後の元帥フランシス・セルタン・ドゥ・カンロベール(Francois Certain de Canrobert)は1895年に死去した。

フランス元帥よりさらに権威のあるフランス大元帥は19世紀まで存在した。

20世紀

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第一次世界大戦中に元帥の権威が復元された。最後のフランス元帥2人は、1967年に亡くなったアルフォンス・ジュアン(Alphonse Juin)、および1970年に死亡したマリー=ピエール・ケーニグ[1]である。

フランス元帥位に昇格する特別な要件はないが軍隊を指揮して勝利する事が慣例となっている。

フランス元帥位は、20世紀まで法律ではなく命令を通して授与された。ただし、法律は事前認可の命令だった。こうして、ジャン・ド・ラトル・ド・タシニーは元帥位に昇格した。同日の法令の第2条では、陸軍大将のジャン・ド・ラトル・ド・タシニーに死後追号(titre posthume)としてフランス元帥位の授与を政府は許可したとある。同様に、フィリップ・ルクレールもフランス元帥の位階に昇格した[2]

フランスの公式文書は大文字で統一されている。(「Maréchal de France」や「maréchal de France」)

元帥の特権

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元帥は勤務費として9000フランを個人で受け取る。この金額は1960年8月2日の法令第1条で定められており、現在も有効である。

第二次世界大戦中に叙任された元帥および将軍は、オテル・デ・ザンヴァリッドに埋葬される権利があると、1929年3月27日の法律で定められている。

年金の補助に関する規定(1929年4月14日の法律)があり、特別な元帥だったフォッシュの未亡人(1929年3月29日の法律)とラトル・ド・タシニーの未亡人(1952年7月11日の法律)に与えられた。もう一つの法令(1967年12月28日)では、アルフォンス・ジュアン元帥の未亡人本人から相続税フランス語版)が免除された。

カペー朝

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フィリップ2世(1180年 - 1223年)

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ルイ9世(1226年 - 1270年)

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フィリップ3世(1270年 - 1285年)

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フィリップ4世(1285年 - 1314年)

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ルイ10世(1314年 - 1316年)

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フィリップ5世(1316年 - 1322年)

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シャルル4世(1322年 - 1328年)

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ヴァロワ朝

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フィリップ6世(1328年 - 1350年)

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ジャン2世(1350年 - 1364年)

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  • アルヌール・ドードレム(Arnoul d'Audrehem)(1370年没)、オードレム卿。授与年:1351年
  • ロギュ・ド・アンジュスト(Rogues de Hangest)(1352年没)、アヴェーヌクール(Avesnecourt)領主。授与年:1352年
  • ジャン・ド・クレルモン(Jean de Clermont)(1356年没)、シャンティイおよびボーモン領主。授与年:1352年
  • ジャン1世・ル・マングル(Jean Ier Le Meingre)(1310年 - 1367年)、通称「ブシコー(Boucicaut)」、愛称「Le Brave」。授与年:1356年

シャルル5世(1364年 - 1380年)

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シャルル6世(1380年 - 1422年)

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シャルル7世(1422年 - 1461年)

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ルイ11世(1461年 - 1483年)

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シャルル8世(1483年 - 1498年)

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ヴァロワ=オルレアン朝

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ルイ12世(1498年 - 1515年)

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ヴァロワ=アングレーム朝

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フランソワ1世(1515年 - 1547年)

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アンリ2世(1547年 - 1559年)

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フランソワ2世(1559年 - 1560年)

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シャルル9世(1560年 - 1574年)

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  • フランソワ・ド・セポー(François de Scépeaux)(1509年 - 1571年)、ヴィエイユヴィル(Vieilleville)領主。授与年:1562年
  • アンベール・ド・ラ・プラティエール(Imbert de La Platière)(1524年 - 1567年)、ブルディヨン(Bourdillon)領主。授与年:1564年
  • アンリ1世・ド・モンモランシー(1534年 - 1614年)、ダンヴィル領主、モンモランシー公、ダンマルティンおよびアレー(Alais)伯、シャトーブリアン男爵、シャンティイ(Chantilly)およびエクアン(Ecouen)領主。授与年:1566年
  • アルテュス・ド・コッセ=ブリサック(Artus de Cossé-Brissac)(1582年没)、ゴノール(Gonnord)領主およびスゴンディニー(Secondigny)伯。授与年:1567年
  • ガスパール・ド・ソ(Gaspard de Saulx)(1509年 - 1575年)、タヴァンヌ(Tavannes)領主。授与年:1570年
  • オノラ2世・ド・サヴォワ(Honorat II de Savoye(1580年没)、ヴィラール侯。授与年:1571年
  • アルベール・ド・ゴンディ(Albert de Gondi)(1522年 - 1602年)、レッツ(Retz)公。授与年:1573年

アンリ3世(1574年 - 1589年)

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  • ロジェ・ド・サン=ラリ(Roger Ier de Saint Lary)(1579年没)、ベルガルド(Bellegarde)領主。授与年:1574年
  • ブレーズ・ド・モンリュック(Blaise de Lasseran de Massencome)(1500年 - 1577年)、モンリュック(Montluc)領主。授与年:1574年
  • ルイ・プレヴォー(Louis Prevost)(1496年 - 1576年)、サンサック(Sansac)男爵。
  • アルマン・ド・ゴントー=ビロン(Armand de Gontaut-Biron)(1524年 - 1592年)、授与年:1577年
  • ジャック2世・ド・ゴワイヨン(Jacques II de Goyon)(1525年 - 1598年)、マティニョン(Matignon)およびレスパール(Lesparre)卿、トリニ(Thorigny)伯、モルターニュ=シュル=ジロンド公(prince de Mortagne sur Gironde)。授与年:1579年
  • ジャン6世・ドーモン(Jean VI d'Aumont)(1580年没)、エトラボンヌ(Estrabonne)男爵、シャトールー伯。授与年:1579年
  • ギヨーム・ド・ジョワイユーズ(Guillaume de Joyeuse)(1520年 - 1592年)、ジョワイユーズ子爵。サン=ディディエ(Saint-Didier)、ロダン(Laudun)、ピュイヴェール(Puyvert)およびアルク(Arques)領主。授与年:1582年
  • フランソワ・グッフィエ(François Gouffier)(1594年没)、通称「le jeune」、デファン(Deffends)侯。クレーヴカール(Crèvecœur)、ボニヴェ(Bonnivet)、トワ(Thois)領主。授与年:1586年

ブルボン朝

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アンリ4世(1589年 - 1610年)

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ルイ13世(1610年 - 1643年)

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ルイ14世(1643年 - 1715年)

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ルイ15世(1715年 - 1774年)

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ルイ16世(1774年 - 1792年)

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第一帝政

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ナポレオン1世(1804年 - 1815年)

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第一帝政の元帥杖

ナポレオン1世(フランス皇帝)は、26名を Maréchal d'Empire (帝国元帥)英語版に列した。

26名の帝国元帥のうち、19名の名前が、パリを取り巻く Boulevards des Maréchaux (元帥大通り) の各道路に冠されている(除外されたのは、[1] オージュロー、[2] ベルナドット、[3] ド・グルーシー、[4] マルモン、[5] ド・モンセー、[6] ウディノ、[7] ド・ペリニョン

また、26名の帝国元帥のうち、3名が戦陣に斃れベシェールランヌポニャトフスキ、4名が非業の死を遂げたベルティエは自殺、ブリューヌは暗殺、ミュラネイは刑死)


 
ベルティエ


 
ミュラ
  • ジョアシャン・ミュラ(1767年 - 1815年) 皇族、ベルク大公、クレーフェ公。1808年よりナポリ国王ジョアッキーノ1世。ナポレオンの義弟で、「世界最高の騎兵」と称された。授与年:1804年


 
モンセー


 
ジュールダン


 
マッセナ
  • アンドレ・マッセナ(1758年 - 1817年) エスリンク大侯爵、リヴォリ公爵。第一統領期から帝政前期に特に活躍した優秀な戦術家で「勝利の愛し子」と称された。授与年:1804年


 
オージュロー
  • ピエール・オージュロー(1757年 - 1816年)カスティリオーネ公爵。イタリア遠征時に多くの武功を立てたが、貪欲な野心家でもあった。授与年:1804年


 
ブリューヌ


 
スールト
  • ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト(1769年 - 1851年)ダルマティア公爵。優れた用兵家でナポレオンをして「ヨーロッパで最も優れた戦術家」と言わしめ、練兵の達人としても知られた。王政復古後にフランス大元帥や首相となる。授与年:1804年。フランス大元帥授与年:1847年


 
ベルナドット
  • ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドット(1763年 - 1844年)ポンテコルヴォ公爵、1818年よりスウェーデン王カール14世ヨハン。ナポレオンのライバルと目された時期もあり、軍事的評価は毀誉半ばする。後に離反、対仏大同盟の先鋒として活躍した。授与年:1804年


 
ランヌ
  • ジャン・ランヌ(1769年 - 1809年)モンテベッロ公爵、シェヴィエシュ公爵。勇猛果敢な戦いぶりで数々の軍功を打ち立て、「大陸軍のロラン」「フランスのアイアス」と称賛された。ナポレオンからは親友として遇された。授与年:1804年


 
centerモルティエ
  • エドゥアール・モルティエ(1768年 - 1835年)トレヴィーゾ公爵。知勇兼備の元帥。政戦問わず活躍し、後に首相となる。授与年:1804年


 
ネイ
  • ミシェル・ネイ(1769年 - 1815年)エルヒンゲン公爵、モスクワ川大公。逆境での粘り強い戦いぶりでナポレオンから「勇者の中の勇者」と絶賛された元帥。人好きな性格で、元帥中最も中心的な役割を果たした。授与年:1804年


 
ダヴー
  • ルイ=ニコラ・ダヴー(1770年 - 1823年)アウエルシュタット公爵、エックミュール大公。生涯不敗を誇り、「不敗のダヴー」と称された元帥。数々の伝説を打ち立て、軍事面で最優秀の元帥と目される。授与年:1804年


 
ベシェール


 
ケレルマン
  • フランソワ・クリストフ・ケレルマン(1735年 - 1820年)ヴァルミー公爵。名誉元帥。ヴァルミーの戦いでフランスを救った英雄。老齢だったこともあり帝政期には目立つ任務にはついていないが、国民や兵士からの信頼は絶大だった。授与年:1804年


 
ルフェーヴル
  • フランソワ・ジョゼフ・ルフェーヴル(1755年 - 1820年)ダンツィヒ公爵。名誉元帥。長い軍歴を持ち、帝政後半では近衛部隊を指揮した。夫婦ともども実直且つ人情味溢れる性格で知られる。授与年:1804年


 
ペリニョン


 
セリュリエ


 
ペラン


 
マクドナル
  • ジャック・マクドナル(1765年 - 1840年)ターラント公爵。スコットランド系の血筋を引く。誠実且つ忠実な性格で知られ、他国からも定評があった。授与年:1809年


 
ウディノ
  • ニコラ・ウディノ(1767年 - 1847年)ルジオ公爵。勇猛果敢で知られたが、その分敗北・負傷も多かった。授与年:1809年


 
マルモン
  • オーギュスト・マルモン(1774年 - 1852年)ラグーザ公爵。ナポレオンの士官学校時代の友人。優れた砲兵将校で、フランス軍の砲兵近代化に尽力した。ナポレオンからは側近として厚遇されていたが、第一帝政末期に無許可で降伏し汚名を被った。授与年:1809年


 
スーシェ
  • ルイ=ガブリエル・スーシェ(1770年 - 1826年)アルブフェーラ公爵。頭角を現すのは遅かったが特にスペイン戦役で活躍し、ナポレオンに「元帥中最優秀である」と評価されたこともある。授与年:1811年


 
サン=シール
  • ローラン・グーヴィオン=サン=シール(1764年 - 1830年)帝国伯爵。1817年より王国侯爵。ナポレオンから「防御戦の第一人者」と見なされていた。熱烈な共和主義者だった為、ナポレオンとはやや距離を置いていた。授与年:1812年


 
ポニャトウスキ
  • ジョゼフ・アントワーヌ・ポニャトウスキ(1763年 - 1813年)ポニャトフスキ大公。元々ポーランドの王族で、元帥中唯一の外国人。祖国復興の為、ポーランド騎兵を率いて各地で奮闘したが、元帥位授与後3日目にして非業の死を遂げた。授与年:1813年


 
グルーシー
  • エマニュエル・ド・グルーシー(1766年 - 1847年) グルーシー侯爵。優秀な重騎兵指揮官として名を馳せたが、ワーテルローの戦いで失態を犯した。百日天下期に元帥位を授与されたことでも知られる。授与年:1815年

復古ブルボン朝

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ルイ18世(1814年 - 1824年)

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シャルル10世(1824年 - 1830年)

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オルレアン朝

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ルイ・フィリップ1世(1830年 - 1848年)

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第二共和政

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ナポレオン3世(大統領)(1848年 - 1852年)

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フランス第二帝政

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ナポレオン3世(皇帝)(1852年 - 1870年)

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第三共和政

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レイモン・ポアンカレ(1913年 - 1920年)

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アレクサンドル・ミルラン(1920年 - 1924年)

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第四共和政

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ヴァンサン・オリオール(1947年 - 1954年)

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第五共和政

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フランソワ・ミッテラン(1981年 - 1995年)

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ケーニグ元帥と将校。後の米大統領ドワイト・D・アイゼンハワーと共に。

脚注

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  1. ^ 1984年6月6日の法令による死後追号
  2. ^ 1952年7月11日に法律で認可され、1952年8月23日に共和国大統領が法令を公布した。しかし、両方の法律は政府によるもの。(法案として計画されたが提議されていない)。
  3. ^ Moreri および Le Clerc, Le grand dictionnaire historique sur le melange curieux de l'histoire sacree et profane, vol. 3, Halma (lire en ligne)
  4. ^ https://books.google.fr/books?id=9ZliiOO3kAkC&pg=PA216
  5. ^ Ce n'est pas le celebre d'Artagnan, juste un parent eloigne
  6. ^ Dictionnaire des marechaux de France, editions Perrin.
  7. ^ BeghainBenoitCorneloup および Thevenon, Dictionnaire historique de Lyon, Lyon, Stephane Baches, 1504 p. (ISBN 978-2-915266-65-8), p. 244
  8. ^ Suite a son proces, Philippe Petain est frappe d'indignite nationale, mais les historiens ne semblent pas d'accord sur le fait que cette indignite comprenait egalement la perte de son titre de marechal de France.
  9. ^ Loi no 52-52 du 15 janvier 1952 et decret no 52-56 du 15 janvier 1952, JORF no 13 du 16 janvier 1952, p. 658 et 666.
  10. ^ Decret du 7 mai 1952, JORF no 111 du 8 mai 1952, p. 4713.
  11. ^ Loi no 52-811 du 11 juillet 1952, JORF no 167 du 12 juillet 1952, p. 7003, et decret du 23 aout 1952, JORF no 203 du 24 aout 1952, p. 8430.
  12. ^ Decret du 6 juin 1984, JORF no 134 du 8 juin 1984, p. 1775.

参考文献

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  • Comte Louis d'Harcourt, Connetable et Marechaux de France, Emile Paul Freres, Paris, 1913 (2 vol.)
  • Genevieve Maze-Sencier, Dictionnaire des marechaux de France du Moyen Age a nos jours, Perrin, Paris, 2000
  • Simon Surreaux, Les Marechaux de France des Lumieres, Histoire et Dictionnaire d'une elite militaire dans la societe d'Ancien Regime, SPM, Paris, 2013

関連項目

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外部リンク

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