ブルチコ行政区
- ブルチコ行政区
- Brčko Distrikt
Брчко дистрикт -
国 ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国 エンティティ ブルチコ行政区 主都 ブルチコ 県知事 Siniša Milić 基礎自治体 1 面積 493km² 人口 93,028(2013年) 人口密度 188.69人/km2 ウェブサイト [1]
ブルチコ行政区(ブルチコぎょうせいく、ボスニア語・クロアチア語・セルビア語: ラテン文字表記Brčko distrikt、キリル文字表記Брчко дистрикт)は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ北東部に位置する同国の自治行政区。 公的には、同行政区はボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦とスルプスカ共和国の双方に属するとされる。
設立までの経緯
編集ブルチコ行政区は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争後の和平合意であるデイトン合意に基づくボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表による仲裁の過程で設立が決められた。合意ではボスニア・ヘルツェゴヴィナの2つの構成体の境界を定め、ブルチコ地区のうち、ブルチコ市街を含む48%がスルプスカ共和国、残りの52%がボスニア・ヘルツェゴビナ連邦に属すると定められた。紛争後、ブルチコ地区では欧州連合によって平和維持活動が行われている。
2006年にはブルチコ行政区における境界線に関する法令が廃止され、ブルチコ地区における2つの構成体の諸法律および境界線が廃止された。ブルチコ行政府には独自の法が制定され、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国の法とともに同地区に適用されることになった[1]。
かつてはクロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人が平和的に共存していたブルチコ地区は、1995年の紛争終結後の現在でもなお分断状態が続いている。
基礎自治体
編集ブルチコ行政区の領域は、それ自体でひとつの基礎自治体となっており、下位の自治体は存在しない。
人口
編集1971年
編集1971年、同地区の人口は74,771人。
- ボシュニャク人(ムスリム人) - 30,181人(40.36%)
- クロアチア人 - 24,925人(33.33%)
- セルビア人 - 17,709人(23.68%)
- ユーゴスラヴィア人 - 1,086人(1.45%)
- その他 - 870人(1.18%)
1991年
編集ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争以前の1991年、同地区の人口に87,332人であった。
- ボシュニャク人(ムスリム人)(45%)
- クロアチア人(25%)
- セルビア人(21%)
- ユーゴスラヴィア人(6%)
- その他(3%)
1997年
編集紛争終結後の1997年、同地区の人口は33,623人であった。
- セルビア人 - 18,193人(54.11%)
- ボシュニャク人 - 10,569人(31.43%)
- クロアチア人 - 2,650人(7.88%)
その後の人口変化
編集1991年以降公的な人口調査は行われていないものの、次のような調査結果が存在する。
前市長Branko Damjanacによる値。
- セルビア人(40%)
- ボシュニャク人(39%)
- クロアチア人(20%)
ある調査によると、2006年の人口は68,863人。
- ボシュニャク人 - 32,332人(46.95%)
- セルビア人 - 28,612人(41.55%)
- クロアチア人 - 7,919人(11.50%)
別の集計によると、2006年の人口は約70,000人であるとしている。
- セルビア人(45%)
- ボシュニャク人(41%)
- クロアチア人(13%)
- その他(1%)
政治
編集ブルチコ行政区の議会は29議席からなり、その内訳は次のとおり。
政党別:
- 6 セルビア民主党
- 5 ボスニア・ヘルツェゴビナ社会民主党
- 4 民主行動党
- 3 クロアチア民主同盟
- 3 ボスニア・ヘルツェゴビナ党
- 2 独立社会民主同盟
- 2 クロアチア農民党
- 2 スルプスカ共和国社会党
- 1 民主党
- 1 無所属
民族別:
- 13 ボシュニャク人
- 11 セルビア人
- 5 クロアチア人
性別:
- 27 男性
- 2 女性
出身者
編集- レパ・ブレナ - 歌手。
- エド・マーイカ - ボスニアのラッパー。本名エディン・オスミッチ。
- エドゥヴィン・カンカ・チュディッチ - ボスニア人権擁護者。
外部リンク
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ Supervisory Order Abolishes Entity Legislation, Ends Legal Significance of IEBL in Brcko District Archived 2006年8月13日, at the Wayback Machine.