メロス包囲戦(英:Siege of Melos)はペロポネソス戦争において紀元前416年アテナイメロスの間で戦われた包囲戦である。

メロス包囲戦

メロス島の位置
戦争ペロポネソス戦争
年月日紀元前416年
場所メロス島
結果:メロスの陥落
交戦勢力
アテナイ メロス
指導者・指揮官
クレオメデス
テイシアス
フィロクラテス
不明
戦力
不明 不明
損害
不明 メロスの成人男子全員の処刑と女子供の奴隷化
ペロポネソス戦争

紀元前416年、クレオメデスとテイシアス率いる重装歩兵1200、弓兵300、騎馬弓兵20、同盟軍の重装歩兵1500、自国船30隻、キオス船6隻、レスボス船2隻がメロス人に服従を強いるべくメロス島に送られた。その理由は、メロス人はスパルタの殖民都市であり、アテナイに服従せずに中立を維持していたが、アテナイが味方につくよう強要したことにより敵側に回ったためである[1]。将軍たちは降伏と服従を求めるべく交渉のための使節を送ったが、スパルタからの救援を信じたメロス人はアテナイ側の要求を拒否し、抗戦を決めた。これを受け、アテナイ軍はメロス包囲を開始し、攻城壁を構築して兵士を配置すると、一部を残して大半を引き上げさせた[2]。しかし、その冬にメロス軍が包囲壁の一部を奪取したのを受け、フィロクラテス率いる第二次遠征軍が派遣された。その結果メロス人は無条件降伏し、成人男子全員が処刑され、女子供は奴隷にされるという苛烈な処置を受けた。なお、メロス人の期待したスパルタからの援軍は最後まで来なかった。その後、アテナイは500人を送り出してメロス島に入植した[3]

紀元前405年、スパルタのリュサンドロスがアテネ軍を破ったのち、メロス島からアテネの入植者を追放し、奴隷として生存していた子女らをメロス島へ戻すとともにスパルタへ併合した。

  1. ^ トゥキュディデス, V. 84
  2. ^ トゥキュディデス, V. 114
  3. ^ トゥキュディデス, V. 116

参考文献

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