ランズクルーナ(Landskrona, Landskrona Kommun, Landskrona Stad [lans ̌kruːna])は、スウェーデン南部のスコーネ県(Skåne Län)にある都市。人口は約3万3千人。デンマークとの国境であるエーレスンド海峡に面している。

ランズクルーナ
Landskrona
ランズクルーナの市章
市章
位置
ランズクルーナ位置の位置図
ランズクルーナ位置
座標 : 北緯55度51分0秒 東経12度53分0秒 / 北緯55.85000度 東経12.88333度 / 55.85000; 12.88333
行政
 スウェーデン
  スコーネ県の旗 スコーネ県
 市 ランズクルーナ
地理
面積  
  市域 300.64 km2
    陸上   140,28 km2
    水面   160,36 km2
人口
人口 (2021年12月31日現在)
  市域 46,488人
    人口密度   150人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : https://www.landskrona.se/

地理

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ランズクルーナは、北にヘルシンボリ、南にルンドがあり、その間に位置している。西側はデンマークとの国境であるエーレスンド海峡に面している。また、海峡に浮かぶ島、ヴェン島(Ven, ランズクルーナ市)への航路がある。

歴史

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起源

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ランズクルーナは1300年代以前、セードラ・セービー(Södra Säby)と呼ばれる小さな漁村で、村の主な産業はニシン漁であった。

1413年、セードラ・セービーはカルマル同盟の君主エリック・アヴ・ポンメン(Erik av Pommern, デンマーク王エーリク7世)から都市(Stad)の権利を与えられ、ランズクルーナ(Landskrona)と名付けられた。王は「国の冠(Landets krona)」となる巨大な商業都市を創り、ハンザ同盟との競争の中で強力な武器とすることを考えていた。中でも、バルト海への自然の入り口であるエーレスンド海峡の統治を強化する必要があった。

エリック・アヴ・ポンメンは町を築き、サンクト・ヨハネス・バッティステ(S:t Johannes Baptistae)教会を建設した。教会はルンドの大聖堂とおおよそ同じ規模で、この町の発展がいかに強力であったかを物語っている。ところが、ランズクルーナが急速に発展するにつれ、ハンザ同盟との対立も激しさを増し、1428年、ハンザ同盟の艦隊がランズクルーナを攻撃し、略奪や火災により壊滅的な打撃を受けた。

町はすぐに再建されたが、数十年後にスウェーデン王カール・クヌートソンにより占領されたため、再び戦火に見舞われることとなる。しかし幸いなことに、この時ランズクルーナは全体的な破壊からは免れた。

その後、1400年代終わりにランズクルーナは急速に発展を遂げ、商業の中心として、多くの貿易商人が訪れるようになった。

城砦都市

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シータデッレット(Citadellet)城

デンマーク王クリスチャン3世1549年、地方官吏であったペーデル・スクラーム(Peder Skram)に命じ、ランズクルーナに城を築き城砦で固めた。築城に10年余りを要したシータデッレット(Citadellet)城は、今でもなおランズクルーナのシンボルになっている。

1658年スウェーデンデンマークの間にロスキレの和議が結ばれた後、城砦はその形を変える。内堀の内側に沿って堤防が築かれ、城の外側には4つの稜堡(りょうほ)が作られた。更に外側には外堀も設けられた。この改修により、4つの稜堡と外堀により、シータデッレットはちょうど四角形になった。この城砦は、当時北欧で最も近代的な形であった。

1663年に、ランズクルーナは、スコーネの首都となった。しかし1675年スコーネ戦争が勃発すると、栄光の時代はすぐに終わりを迎えてしまう。4年間の戦争により、ランズクルーナは荒廃してしまった。スコーネ知事のヨハン・ギッレンスティーエナ(Johan Gyllenstierna)により壮大な再建計画が持ち上がったが、彼の急死により計画は実現されなかった。

近代都市

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1700年代前半、ランズクルーナを商業都市として再建しようとする動きが出てきた。この計画は古い建物を全て取り壊し、町を南側の入り江の方に移すというものであった。しかしこの計画はランズクルーナの住民には受け入れ難かった。またさらに、この計画には多大な費用がかかった。そこで新しい都市は徐々に発展させることになり、古い建物も壊されることはなかった。

1800年代以降、ランズクルーナは近代都市へと急速に舵を切る。町は城砦の都市から開かれた工業都市、商業都市へと姿を変えた。この頃スウェーデンの実業家、ユストゥス・トランフェル(Justus Tranchell)がここに拠点を置いていた。彼は息子であるカールと共に砂糖産業を発展させ、これによりスウェーデンの“砂糖王”となった。

一方港では造船業が発展し、1920年代から1930年代の不況期を除いて、ランズクルーナの造船業は1970年代まで堅調に発展していった。しかし、1970年代、スウェーデンに造船危機が訪れ、ランズクルーナにもその波は及んでいる。[1]

地区

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  • ランズクルーナ(Landskrona)
  • ヘリヤップ(Häljarp)
  • グルムスレーヴ(Glumslöv)
  • アスムンドトップ(Asmundtorp)
  • サクストップスクーゲン(Saxtorpsskogen)
  • ヘシュレーヴ(Härslöv)
  • アンネレーヴ(Annelöv)
  • クヴェレーヴ(Kvärlöv)

交通

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出身者

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スポーツ

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友好都市

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ランズクルーナには4つの友好都市がある

脚注

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  1. ^ http://www.landskronaplus.se/Pages/Page.aspx?pageId=559

外部リンク

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  NODES