上毛野形名
飛鳥時代の武人。姓は君。大仁。子に上毛野家麻呂(上毛野朝臣)。将軍として蝦夷を討伐。
上毛野 形名(かみつけの の かたな)は、飛鳥時代の武人。姓は君。冠位は大仁。
「教導立志基」より『上毛野形名』 小林清親筆 | |
時代 | 飛鳥時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 大仁 |
主君 | 舒明天皇 |
氏族 | 上毛野君(上毛野国造) |
経歴
編集舒明天皇9年(637年)に蝦夷が叛き入朝を拒否したことから、形名は将軍に任ぜられ蝦夷討伐に向かう。形名は一旦蝦夷に敗れ、兵は逃亡し、砦も包囲されてしまう。形名も逃げ出そうとするが、形名の妻は「あなたのご先祖さま方は海を渡り、万里を越え、海外を平定し武勇を残したのに、ここで死ぬのは先祖の名を汚すことです。」と夫を鼓舞し、夫に無理やり酒を飲ませた上で自ら夫の剣を佩き、弓を張り、女達に弓弦を鳴らさせた。形名は再び奮い立ち進撃した。
蝦夷はまだ多くの兵がいると思い少し軍を引いた。その間に、形名は戻ってきた味方の兵をまとめ上げ、蝦夷を破ることに成功したという[1]。
脚注
編集- ^ 『日本書紀』舒明天皇9年条