中島 一(なかじま はじむ、1925年大正14年)11月22日[1] - 2012年平成24年)6月11日[2][3])は、日本の政治家彦根市長(3期)。

中島一
なかじま はじむ
生年月日 1925年11月22日
出生地 日本の旗 日本 滋賀県守山市
没年月日 (2012-06-11) 2012年6月11日(86歳没)
出身校 旧制名古屋工業専門学校建築科卒業
(現・名古屋工業大学
前職 愛知工業大学教授
所属政党 無所属
称号 正五位

当選回数 3回
在任期間 1993年 - 2005年5月9日
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経歴

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滋賀県守山市出身[2]旧制名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学建築科卒業[2]。旧建設省技官滋賀県庁を経て、愛知工業大学教授に就任[2]

1993年彦根市長選挙

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1993年(平成5年)に彦根市長選挙に立候補して、現職の獅山向洋共産党の新人を破って初当選[4]


※当日有権者数:72,781人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
中島一67無所属22,399票53.6%-
獅山向洋52無所属16,743票40.0%-
酒井紳一34日本共産党2,680票6.4%-

1997年彦根市長選挙

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市長選に立候補して、無所属の新人、元職となった獅山、共産党の新人を破って再選を果たした[5]


※当日有権者数:77,223人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
中島一71無所属19,027票46.9%-
大森修太郎58無所属12,089票29.8%-
獅山向洋56無所属6,831票16.8%-
内田たかひで41日本共産党2,636票6.5%-

2001年彦根市長選挙

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市長選に立候補して、大久保貴ら無所属新人2人と共産党の新人1人を破って3選を果たした[6]


※当日有権者数:80,880人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
中島一75無所属16,915票44.7%-
中居正威58無所属10,104票26.7%-
大久保貴37無所属6,984票18.4%-
山内善男47日本共産党3,855票10.2%-

2005年(平成17年)の選挙には立候補しなかった[7]。同年5月9日に市長を退任した[8]

在任中の取り組み

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市長在任中は、都市計画の専門家として、江戸時代の彦根城下町の街並みを再現した「夢京橋キャッスルロード」などの整備を進めた[2]。また、平成の大合併の際には、周辺の豊郷町甲良町多賀町との1市3町での合併に取り組んだが、市民の意向調査で反対意見が多数を占め、失敗に終わった[9]

2012年6月11日脳出血のため死去、86歳没[3]。死没日をもって正五位に叙される[10]

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、268頁。
  2. ^ a b c d e 中島一氏死去 前彦根市長 : 京都新聞 at the Wayback Machine (archived 2012-06-28)
  3. ^ a b “中島一さん死去”. 朝日新聞. (2012年6月16日付滋賀地方面)。
  4. ^ 彦根市長選挙 - 1993年04月25日投票 | 滋賀県彦根市”. 選挙ドットコム. 2024年10月5日閲覧。
  5. ^ 彦根市長選挙 - 1997年04月20日投票 | 滋賀県彦根市”. 選挙ドットコム. 2024年10月5日閲覧。
  6. ^ 彦根市長選挙 - 2001年04月22日投票 | 滋賀県彦根市”. 選挙ドットコム. 2024年10月5日閲覧。
  7. ^ 彦根市長選挙 - 2005年04月24日投票 | 滋賀県彦根市”. 選挙ドットコム. 2024年10月5日閲覧。
  8. ^ 全国市長会ホームページ - 平成17年市長退任状況”. www.mayors.or.jp. 2024年10月5日閲覧。
  9. ^ “彦根市と3町、合併協解散へ 22回目で協議に幕”. 朝日新聞. (2005年2月10日付滋賀地方面)。
  10. ^ 『官報』第5845号10頁 平成24年7月19日号
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