加藤敬三郎
加藤 敬三郎(かとう けいさぶろう、1873年(明治6年)4月19日[1] - 1939年(昭和14年)12月3日[1][2])は、日本の逓信官僚、銀行家、政治家。北海道拓殖銀行頭取、朝鮮銀行総裁、貴族院議員。旧姓・川村。
経歴
編集愛知県出身[3]。川村浩の三男として生まれ、加藤厚寛の養子となる[1]。1897年(明治30年)7月、私立日本法律学校(現日本大学)を卒業[1][2]。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格[1][3]。1898年(明治31年)2月、逓信省に入り通信書記として電務局に配属された[1][2][3]。
1898年11月、福島郵便電信局長に就任[1]。以後、岡山郵便電信局長、長崎郵便電信局監理課長、通信事務官、金沢郵便電信局監理課長、大阪郵便電信局監理課長、宇都宮郵便電信局長、一等郵便局長などを歴任[1]。日露戦争を迎え、1904年(明治37年)2月、軍郵便部長に発令され、同年3月、第1軍に従軍[1]。
1906年(明治39年)3月、仙台郵便局長となる[1]。以後、日本大博覧会事務官、高松郵便局長、神戸逓信管理局長、九州逓信局長などを歴任し[1]、1913年(大正2年)10月に退官[1][3]。
1913年10月、日本勧業銀行発行課長となり、調査課長、理事を歴任[1]。その後、北海道拓殖銀行頭取、朝鮮銀行総裁を務める[1][2]。
1938年(昭和13年)1月7日、貴族院勅選議員に任じられ[4][5]、研究会に属し死去するまで在任[2][4]。墓所は多磨霊園。
脚注
編集参考文献
編集- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。