心斎橋

大阪市中央区にある繁華街

心斎橋(しんさいばし)は、大阪府大阪市中央区の大阪を代表する繁華街。また、かつて長堀川に架かっていたでのちに長堀通に整備された歩道橋。範囲としては心斎橋筋西心斎橋東心斎橋の辺りであり、行政上「心斎橋」という地名は存在しない。

心斎橋ブティック街(御堂筋長堀通
心斎橋筋商店街道頓堀戎橋側)
心斎橋筋長堀通側)
1930年代の心斎橋筋

概要

心斎橋は大阪の2大繁華街の一つであるミナミの北側に位置し、大阪市のメインストリートである御堂筋から一筋東の心斎橋筋商店街にかけての地域である。御堂筋を中心に老舗百貨店専門店・ラグジュアリーブランドの路面店などが集積する大阪を代表する高級繁華街。心斎橋に店を構えることを夢や目標にする人も多い。東京の銀座と並んで日本を代表する高級ブランド街である。

明治・大正期には、大阪の発展とともに心斎橋周辺も繁栄し「東の銀座、西の心斎橋」と並び称され、銀座をそぞろ歩く"銀ブラ"に対して"心ブラ"という言葉が生じた[1]。そういった高級店は御堂筋沿いに多いのに対し、心斎橋筋商店街は大衆向けの店が多くを占める。南側に隣接する難波道頓堀千日前などとともに一体的・広域的な繁華街ミナミを形成している。

また近年では、難波道頓堀からも程近いことから、外国人観光客にも人気の繁華街で、日本語以外の言葉を掲げる看板も多数目立つ。

また、西心斎橋には三角公園(御津公園)を中心に関西における若者文化の発信基地であるアメリカ村(通称:アメ村)が位置し、古着屋を中心に若者向けの店が多数集積している。

心斎橋筋は、船場島之内を分ける長堀川(現在は埋め立てて長堀通)に架かっていた心斎橋(橋梁)に由来する。単に船場と島之内を繋ぐにとどまらず、道頓堀川にも戎橋が架けられ、なおかつ西横堀川(現在は埋立てて阪神高速1号環状線北行き)寄りの道であったことから、道頓堀芝居小屋下船場新町遊廓を結ぶ道として賑わいを見せるようになり、今日に至っている。

このように心斎橋筋は土佐堀川から道頓堀川まで南北に伸びる道であるが、船場においては心斎橋という認識は薄い。これは、1872年に心斎橋筋(1・2丁目)の町名が島之内においてのみ実施されたことに拠る。

歴史

元々心斎橋は、新町遊廓へ至る順慶町通と交差する船場側が栄えていた。順慶町通は夜市で知られ、煌々と照らされる街路は江戸から来た人々も驚くほどであった。しかし、松島遊廓の誕生や大火によって新町遊廓は衰退・焼失してしまい、南海難波駅や湊町駅(現:JR難波駅)の開業(道頓堀以南は戎橋筋と名称を変えるが難波駅前まで通じている)、大丸や十合(そごう)といった呉服店による百貨店経営の開始などにより、明治以降は島之内側が栄えるようになった。なお、現在も船場側には、順慶町通を境に、せんば心斎橋筋商店街と心斎橋筋北商店街がある。

1989年平成元年)に島之内のうち堺筋 - 畳屋町筋間が東心斎橋、御堂筋以西が西心斎橋という町名になった。しかし、現在も鰻谷(中之町・西之町)、大宝寺町(中之丁・西之丁)、東清水町、西清水町、千年町、玉屋町、笠屋町、畳屋町、周防町、八幡町、三津寺町、久左衛門町といった旧町名およびそれに基づく筋や通の名称は健在で、御堂筋の交差点名にも使用されている。東心斎橋(とりわけ周防町筋以南)および南接する宗右衛門町は、歓楽街として「ミナミ」と呼ばれることが多いが、このエリアでは店舗や居場所の特定に旧町名が頻繁に用いられている。また、西心斎橋の周防町筋周辺はアメリカ村と通称されている。

主な施設

 
大丸心斎橋店本館
 
大丸心斎橋店南館
 
心斎橋パルコ
 
Apple Store心斎橋
 
ホテル日航大阪

交通機関

いずれの3駅とも徒歩圏内にある。

最寄り駅

心斎橋を舞台とした作品

小説

心斎橋(橋梁)

歴史

 
鉄橋の心斎橋を南から(明治初期)
 
石造橋の心斎橋を北から(大正-昭和初期)
 
クリスタ長堀の上に復元された心斎橋を南から(2011年)
 
鶴見緑地公園に現存する鉄橋の心斎橋(緑地西橋

心斎橋は元々長堀川に架かっていた橋の名前である。1622年元和8年)に長堀川の開削と同時に架けられたというのが有力な説であり、「心斎系譜」によると長堀川を開削した4名のうちの1人、岡田心斎が長堀川の両岸を町域とした長堀心斎町の往来の便のため、南北に橋を架けたことが名前の由来になっている。当時の心斎橋は、長さ18間(約35m)、幅2間半(約4m)の木橋だった。人通りの多い地域にあった木橋で傷みやすく、洪水や火災の被害も受けるなど維持管理に多くの資金が費やされたという[14]

その後、1873年(明治6年)に本木昌造の設計によって鉄橋に生まれ変わる。ドイツ製で、大阪で2番目、日本で5番目の鉄橋だった。当時の人にとって鉄橋は非常に珍しく、大阪の人の間で話題となり、錦絵にも描かれた。この鉄橋は鶴見緑地公園緑地西橋として現存する。1908年(明治41年)に心斎橋としての役割を終え撤去された後、境川運河の境川橋、1928年(昭和3年)に大和田川の新千船橋(大阪市西淀川区)と移設を重ね、1973年(昭和48年)に鶴見緑地にすずかけ橋として保存され、1989年に現在地に移ったもの。日本現存最古の鉄橋と言われている。

1909年(明治42年)には野口孫市の設計によって石造橋に架け替えられ、壮大な渡り初めが行われた。愛媛県今治市沖の大島産の花崗岩が用いられた。

歩道橋

1962年昭和37年)に長堀川が埋め立てられて撤去された後、1964年(昭和39年)に長堀通を横断する歩道橋として移築された。映画ブラック・レイン」にもワンシーンながら登場している。その後、地下鉄長堀鶴見緑地線の工事のため撤去されたが、1997年平成9年)にクリスタ長堀が完成した際、もとの心斎橋の位置に石造橋の一部がガス灯と共に復元された。親柱、四つ葉のクローバー型の装飾のある欄干は建造時のもので、橋名・架橋年月・石工棟梁と石材提供人の名が刻まれている。クリスタ長堀の天井部を川に見立て、長堀川の水面が再現されている。

Osaka Metro 心斎橋駅長堀鶴見緑地線ホームは、心斎橋の欄干やガス灯をモチーフとした装飾が施されている。

脚注

出典

  1. ^ 近鉄不動産 新築・分譲マンション メールマガジンクラブ「WITH LAUREL(ウィズローレル)」”. https://www.kintetsu-re.co.jp/with_laurel. 2024年4月13日閲覧。
  2. ^ STUNNING LURE スタニングルアー Fashion Press
  3. ^ キンジ / KINJI FukuDB、カフェで古着を回収ライフスタイルカフェ「RE-CAFE」大阪伊勢丹に fashionnetwork 2011年5月18日
  4. ^ 原宿の古着屋ベスト38選-人気店や名店を網羅 Fashion Press 2016年10月31日
  5. ^ 三陽商会の「ラブレス」が日本発「アレフルード」の国内独占販売を開始 WWD 2017年11月16日、ラブレスが初のメンズポップアップストアを六本木TSUTAYAにオープン カート・コバーンやビョークのTシャツも WWD 2018年6月4日 等を参照
  6. ^ A|Xアルマーニ エクスチェンジが六本木にオープン、店舗限定アイテムなど充実の品揃え Fashion Press 2018年1月16日
  7. ^ 古着屋WEGO、発祥の地・アメ村に復活 関西を遊ぶニュースサイト・Lmaga.jp 2017年4月5日
  8. ^ 欧州雑貨タイガーと日本発アソコ 100円ショップとの違い fashionsnap.com 2013年7月4日
  9. ^ 企業情報 フランチャイズ カルツェドニア公式HP
  10. ^ 「カルツェドニア」日本初の旗艦店を表参道に - レッグウェアや水着を展開 Fashion-Press 2015年
  11. ^ a b ユニクロ、心斎橋店閉店へ”. 共同通信 (2021年7月8日). 2021年7月12日閲覧。
  12. ^ 仏カジュアル時計「ボンボンウォッチ」、心斎橋商店街に大阪初出店 なんば経済新聞 2007年7月16日
  13. ^ フルコレクション展開 fashionsnap.com 2012年12月04日
  14. ^ 心斎橋 国土交通省近畿地方整備局 大阪国道事務所、2020年7月11日閲覧。

関連項目

外部リンク

北緯34度40分21秒 東経135度30分00秒 / 北緯34.6725度 東経135.5度 / 34.6725; 135.5

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