石川城
石川城(いしかわじょう)は、青森県弘前市にあった日本の城。 別名大仏ヶ鼻城。周辺の館とあわせて石川十三楯(大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館)と呼ばれ、この13の城館の総称として石川城といわれた。
石川城 (青森県) | |
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石川城空撮 | |
別名 | 大仏ヶ鼻城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 曽我道性 |
築城年 | 建武元年(1334年) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 曾我氏・石川南部氏 |
廃城年 | 慶長16年(1611年) |
遺構 | 郭・堀・土塁 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1][2] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 青森県No.202038(石川城跡)[3] |
位置 | 北緯40度32分55.7秒 東経140度32分38.6秒 / 北緯40.548806度 東経140.544056度座標: 北緯40度32分55.7秒 東経140度32分38.6秒 / 北緯40.548806度 東経140.544056度 |
地図 |
歴史
編集津軽の曽我宗家である平賀の曽我道性により建武元年(1334年)に築城されたと伝わる。曽我氏はその後南部氏に制圧され、天文2年(1533年)石川高信が石川城を居城としていた。だが元亀2年(1571年)5月5日未明、大浦為信(後の津軽為信)の急襲を受けて落城、石川高信は自害した。その後石川城は津軽氏の所有となり、津軽家臣である板垣将兼が守った。慶長16年(1611年)、弘前城築城に際し、石川城は廃城となった。
現在は「大仏公園」として整備されている[4]。
キャラクター
編集弘前城で行われた天守の曳家工事を契機として、2016年(平成28年)に弘前市が地域おこしキャラクターのロボット「超城合体タメノブーンV」を制作。タメノブーンVを構成する5機の城ロボのうち、石川城は「イシー」にあたる[5][6]。
脚注
編集- ^ 「弘前の文化財」弘前市公式HP
- ^ 「青森県遺跡地図-弘前-」青森県公式HP
- ^ 「遺跡地名表」青森県公式HP
- ^ 「大仏公園(石川城・大仏ヶ鼻城跡)」一般財団法人 弘前市みどりの協会公式HP
- ^ 弘前城合体ロボ「超城合体タメノブーンV」登場 株式会社ジェイクリエイト『観光Re:デザイン』
- ^ 超城合体タメノブーンV弘前市公式サイト
外部リンク
編集隧道レポート 大仏公園 謎の穴 - 石川城の地下道レポート