紀元前209年
年
紀元前209年(きげんぜん209ねん)
世紀 | 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀 |
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十年紀 |
前220年代 前210年代 前200年代 前190年代 前180年代 |
年 |
前212年 前211年 前210年 紀元前209年 前208年 前207年 前206年 |
他の紀年法
編集できごと
編集共和政ローマ
編集- 共和政ローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マクシムスは、カルタゴの将軍ハンニバルが3年間に渡って占領していたタレントゥムを再占領した。
- ハンニバルの率いるカルタゴ軍とマルクス・クラウディウス・マルケッルスの率いるローマ軍の間でカヌシウムの戦いが起こった。この戦いは痛み分けに終わった。
- 大スキピオは拠点を置くタラゴナからカルタゴの拠点カルタヘナを攻撃した。攻撃は成功し、カルタヘナは占領された。これにより多くの人質、銀鉱山、さらに南方を侵略する拠点などを手に入れることができた。
ペルシャ
編集ギリシャ
編集中国
編集- 春、二世皇帝胡亥が東方の郡県を巡行し、李斯がつき従った。[1]
- 4月、二世皇帝が趙高の助言をえて大臣や公子たちを誅殺した。公子12人が咸陽の市で斬り殺され、10人の公主が杜で磔にされて死んだ。[1]
- 陳勝・呉広の乱:7月、陳勝と呉広が蘄で挙兵した。陳勝は王となり、国号を「張楚」とした。[1]
- 張楚の武将である周章(周文)が函谷関を陥落させた。二世皇帝は大いに驚き、少府の章邯に迎撃させると、周文は敗走した。[1]
- 8月、張楚の武将である武臣が自立して趙王を称した。陳余を大将軍とし、張耳を右丞相とし、邵騒を左丞相とした。[1]
- 9月、沛の人劉邦が沛で挙兵した。[1]
- 下相(現在の江蘇省宿遷市)の人の項梁が会稽郡守の殷通を殺し、甥の項羽と共に呉で挙兵した。[1]
- 狄(現在の山東省淄博市高青県東南部)の人の田儋が斉郡で挙兵した。[1]
- 二世皇帝は衛君角を庶人とし、衛の祭祀が絶えた。[1]
匈奴
編集誕生
編集→「Category:紀元前209年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前209年没」も参照
脚注
編集注釈
出典