紀元前256年
年
紀元前256年(きげんぜん256ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀 |
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十年紀 |
前270年代 前260年代 前250年代 前240年代 前230年代 |
年 |
前259年 前258年 前257年 紀元前256年 前255年 前254年 前253年 |
当時は、「ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングスとクィントゥス・カエディキウスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元498年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前256年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集共和政ローマ
編集- ローマ軍は、第一次ポエニ戦争を早期に終結させるため、北アフリカのカルタゴの植民地を侵攻することを決めた。ハミルカルに率いられたカルタゴ軍はこれを阻止しようとしたが、執政官マルクス・アティリウス・レグルスとルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングスに率いられたローマ軍は、シチリア南岸のエクノモス岬の戦いでカルタゴ軍を破った。
- エクノモス岬の戦いの後、ローマ軍はカルタゴの領土に上陸し、破壊行為を始めた。ローマ軍はすぐにカルタゴから東に40マイルのケリビアを占領した。ローマ軍を町の守りに就かせた後、2人の執政官は、本国から、ウルソは多くの兵を連れてローマに戻り、レグルスは歩兵と騎兵を率いてその地に留まり、戦争を終結させるようにとの指令を受けた。
- カルタゴの南東64㎞のアディス近郊で、カルタゴ軍とレグルスに率いられたローマ軍との間で、アディスの戦いが行われた。ローマ軍は大勝し、カルタゴ軍は和平を求めた。交渉の過程で、レグルスはカルタゴに無条件降伏とシチリア、コルシカ、サルディニアのローマへの譲渡、海軍の放棄、保障金の支払い、ローマに隷属する条約の締結を求めた。これらの条件は厳しいものであり、カルタゴの市民は戦争の継続を求めた。
中国
編集誕生
編集→「Category:紀元前256年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前256年没」も参照
- 赧王 - 周王朝最後の王
脚注
編集注釈
出典