若林 喜三郎(わかばやし きさぶろう、1908年4月19日 - 1999年12月25日[1])は、日本の日本史学者。

略歴

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京都府出身。1936年京都帝国大学文学部国史学科卒。金沢大学教育学部助教授、奈良女子大学教授を務め、1972年定年退官[2]龍谷大学教授、大手前女子大学教授を務めた[3]。能登地方の市町村史誌を数多く手がけたことから「能登守」と呼ばれた。

著書

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編著・監修

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  • 輪島町史』編 輪島町 1954
  • 『中学歴史事典』編 福音館書店 1955
  • 山中町史』編 山中町史刊行会 1959
  • 『義民道閑伝』編 道閑三百年記念事業委員会 1967
  • 『石川県の歴史』監修 北国出版社 1970
  • 梅田甚三久『梅田日記 幕末金沢町民生活風物誌』編 北国出版社 1970
  • 小田吉之丈編著『加賀藩農政史考』校訂・解説 国書刊行会 1977
  • 『加賀能登の歴史』編著 講談社 1978
  • 『加賀藩社会経済史の研究』編 名著出版 (地方史研究叢書)1980
  • 『年々留 銭屋五兵衛日記』編 法政大学出版局 1984
  • 『北浜二丁目戸長文書』編 大阪市史料調査会 (大阪市史史料)1984

論文

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脚注

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  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ 若林喜三郎教授略年譜(若林喜三郎教授退官記念号)寧楽史苑 18, 3-4, 1972
  3. ^ 『加賀騒動』著者紹介
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