谷山郡
谷山郡(コクサンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国黄海北道に属する郡。
谷山邑付近の景色 | |
位置 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 곡산군 |
漢字: | 谷山郡 |
日本語読み仮名: | こくざんぐん |
片仮名転写: | コクサン=グン |
ローマ字転写 (MR): | Koksan-kun |
統計(2008年) | |
面積: | 520.682 km2 |
総人口: | 120,693 人 |
人口密度: | 231.798 人/km2 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 黄海北道 |
下位行政区画: | 1邑20里 |
地理
編集黄海北道の東北部に位置する。
行政区画
編集1邑・20里を管轄する。
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歴史
編集三国時代には高句麗によって十谷城が築かれた。統一新羅時代には鎮瑞県とされ、永豊郡の管轄下に置かれた。高麗王朝成立後は谷州と改称された。1393年に谷山と改称されたのち、再び谷州に戻されているが、朝鮮王朝成立後の1413年に谷山郡と改められている。1669年には谷山府に昇格した。
1895年には地方制度改革により谷山郡となり、開城府に属した(二十三府制)。翌1896年には黄海道所属となった(十三道制)。谷山郡は12面からなり、この構成は日本統治下も変わらなかった。1945年8月15日の時点で、谷山面は12面・69里が属していた。
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1952年12月に行われた郡面里統廃合に伴い、谷山・清渓・雲中・桃花面全域と西村面の一部(3里)・東村面の一部(2里)、新渓郡村面を統合して谷山郡(1邑16里)が再構成され、旧谷山面に邑所在地が置かれた。旧谷山郡のうち、北部の上図・下図・花村面などは新坪郡として分離され、東村面の一部は江原道板橋郡に、鳳鳴面の一部は平安南道檜倉郡に編入された。
2002年10月現在、1邑20里が置かれていた。
年表
編集この節の出典[1]
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、黄海道谷山郡に以下の面が成立。(12面)
- 雲中面・邑内面・東村面・桃花面・西村面・清渓面・覓美面・花村面・鳳鳴面・上図面・下図面・伊寧面
- 1929年 - 邑内面が谷山面に改称。(12面)
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、黄海道谷山郡谷山面・清渓面・雲中面・桃花面および西村面・東村面の各一部、新渓郡村面をもって、谷山郡を設置。谷山郡に以下の邑・里が成立。(1邑16里)
- 谷山邑・虎岩里・松林里・古城里・丙戌里・渓水里・龍岩里・東山里・西村里・坪岩里・武葛里・月陽里・文陽里・青松里・草平里・細林里・砂峴里
- 1954年10月 - 黄海道の分割により、黄海北道谷山郡となる。(1邑16里)
- 西村里が黄海北道遂安郡坪院里との境界線を調整。
- 虎岩里・松林里の各一部が谷山邑に編入。
- 1961年 (1邑16里)
- 渓水里の一部が谷山邑・古城里に分割編入。
- 砂峴里の一部が月陽里に編入。
- 1963年 (1邑21里)
- 坪岩里・丙戌里・草平里の各一部が合併し、桂林里が発足。
- 坪岩里・月陽里・砂峴里の各一部が合併し、栗里が発足。
- 坪岩里・月陽里の各一部が合併し、五里浦里が発足。
- 月陽里の一部が分立し、海浦里が発足。
- 坪岩里・武葛里の各一部が合併し、玄岩里が発足。
- 細林里の一部が坪岩里に編入。
- 1965年1月 - 新渓郡大成里の一部が海浦里に編入。(1邑21里)
- 1965年7月 - 海浦里が新渓郡に編入。(1邑20里)
- 1982年 - 丙戌里が徳興里に改称。(1邑20里)
- 1986年 (1邑20里)
- 武葛里の一部が五里浦里・玄岩里に分割編入。
- 玄岩里の一部が武葛里に編入。
- 松林里の一部が桂林里・草平里に分割編入。
- 谷山邑・桂林里の各一部が松林里に編入。
関連項目
編集- コクサン - 当地で確認された北朝鮮製の自走砲