豊増 昇(とよます のぼる、1912年5月23日 - 1975年10月9日)は、日本ピアニスト音楽教育者日本藝術院会員。佐賀県佐賀市出身。

豊増 昇
生誕 (1912-05-23) 1912年5月23日
出身地 日本の旗 日本佐賀県佐賀市
死没 (1975-10-09) 1975年10月9日(63歳没)
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト音楽教育者
担当楽器 ピアノ

経歴

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1933年、東京音楽学校卒。高折宮次レオ・シロタらに師事。1936年ドイツに留学、1943年東京音楽学校教授。その後、京都市立音楽短期大学教授を経て、1959年に武庫川女子大学音楽部長となった。

1940年にベートーヴェンピアノソナタピアノ協奏曲全作品の連続演奏会、 1949年にバッハ死後200年記念ピアノ曲連続演奏会[1]、さらに1950年にもバッハのピアノ曲全作品の連続演奏会をおこなった。1956年、日本人として初めてベルリンフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演した(指揮はヨーゼフ・カイルベルト)。1961年日本芸術院賞受賞[2]、1962年芸術院会員。

1975年、肺癌のため死去。

小澤征爾に、指揮者になる事を勧めた人物でもある[3]。1993年には郷里佐賀で「豊増昇生誕百年記念音楽祭」が開かれた[4]

外部リンク

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著作

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脚注

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  1. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、373頁。ISBN 4-00-022512-X 
  2. ^ 『朝日新聞』1961年4月15日(東京本社発行)朝刊、1頁。
  3. ^ 「小澤征爾&2014サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(2014年10月13日NHK BSプレミアムにて放送)より。冒頭のピーター・バラカンとの対談で触れた。
  4. ^ 豊増昇記念音楽祭 郷土のピアニストしのぶ
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