趙 金鈴(ちょう きんれい、1123年 - ?)は、北宋の徽宗の第33皇女(夭逝を除いて第22皇女)。
純福帝姫の位を授けられた。
靖康の変後、純福帝姫は金に連行された。洗衣院で育てられ、成長後、完顔設野馬(完顔宗翰の長男、金鈴の異母姉の趙富金の後夫)により、翻訳官の王成棣[1]と結婚させられた。以後の動静は不明であるが、『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで金で健在であったという。
- 『靖康稗史箋證』
- 『宋会要輯稿』
- 『三朝北盟会編』
- ^ 完顔設野馬の従軍翻訳官。『青宮訳語』(『靖康稗史箋證』の一部)の作者。