鎔笵
概要
編集鎔笵には鎔笵そのものの材質や型数、製品の製造方法などによって分類される。
日本では弥生時代に青銅器が製造技術とともに伝来され、石や粘土、蝋、金属などを材料にして作られた。
当初は両面2つの外型を組み合わせた形状のものが用いられたが、後に銅鐸や容器を鋳造するために内型と外型を組み合わせその隙間に金属を流し込む「中子(なかご)法」も用いられた[1]。歴史時代に入ると貨幣や仏像・仏具の鋳造のための型としても用いられた。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 小澤佳憲 (2023年8月8日). “弥生時代の“ワザ”に挑む!石製鋳型を用いた銅鐸の復元制作(後編)”. 国立文化財機構文化財活用センター. 2024年9月27日閲覧。
参考文献
編集- 三木文雄「鎔笵」『国史大辞典 14』(吉川弘文館 1993年)ISBN 978-4-642-00514-2
- 岡内三眞「鎔笵」『日本歴史大事典 3』(小学館 2001年)ISBN 978-4-095-23003-0