鷹司冬通
南北朝時代の公卿。鷹司家7代当主。従一位・関白、左大臣。勅撰集『風雅和歌集』以下に6首入集。後村上天皇出仕は正平一統時。
鷹司冬通(たかつかさ ふゆみち)は、南北朝時代の公卿。鷹司家7代当主。
時代 | 南北朝時代(北朝) |
---|---|
生誕 | 元徳3年(1331年) |
死没 | 至徳3年6月19日(1386年7月15日) |
官位 | 従一位、関白、左大臣 |
主君 |
光明天皇→崇光天皇→(後村上天皇)→後光厳天皇→後円融天皇→後小松天皇 興仁親王(春宮坊) |
氏族 | 鷹司家 |
父母 | 父:鷹司師平、母:洞院吉子(洞院公賢の娘) |
妻 | 洞院公敏の娘、洞院実夏の養女 |
子 | 冬家、孝信、孝尋、一条経嗣室 |
特記 事項 | 後村上天皇出仕は正平一統時 |
官職歴
編集- 暦応3年11月27日(1340年12月16日) - 貞和3年11月16日(1347年12月18日) 左近衛中将
- 暦応5年3月30日(1342年5月5日) - 康永3年7月29日(1344年9月6日) 播磨権守
- 康永3年7月29日(1344年9月6日) - 貞和3年11月16日(1347年12月18日) 権中納言
- 康永3年9月23日(1344年10月29日) - 貞和4年10月27日(1348年11月18日) 春宮権大夫(興仁親王)
- 貞和3年11月16日(1347年12月18日) - 延文5年9月30日(1360年11月9日) 権大納言
- 観応2年4月16日(1351年5月12日) - 延文5年11月(1360年12月) 左近衛大将
- 延文5年9月30日(1360年11月9日) - 貞治元年12月27日(1363年1月12日) 右大臣
- 貞治元年12月27日(1363年1月12日) - 応安2年11月4日(1369年12月3日) 左大臣
- 貞治6年8月27日(1367年9月21日) - 応安2年11月4日(1369年12月3日) 関白(後光厳天皇)
位階歴
編集系譜
編集参考文献
編集- 『公卿補任』
公職 | ||
---|---|---|
先代 二条良基 |
関白(北朝) 1367 - 1369 |
次代 二条師良 |
先代 近衛道嗣 |
左大臣(北朝) 1363 - 1369 |
次代 二条師良 |
先代 近衛道嗣 |
右大臣(北朝) 1360 - 1363 |
次代 久我通相 |
先代 九条経教 |
春宮権大夫(興仁親王) 1344 - 1348 |
次代 春宮坊廃止(興仁親王即位) |
軍職 | ||
先代 西園寺公重 |
左近衛大将(北朝) 1351 - 1360 |
次代 洞院実夏 |