CDテネリフェ
CDテネリフェSAD(Club Deportivo Tenerife, S.A.D.)は、スペイン・カナリア諸島州サンタ・クルス・デ・テネリフェに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)に所属する。
CDテネリフェ | |||
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原語表記 | Club Deportivo Tenerife, S.A.D. | ||
愛称 |
Tete Chicharreros (サンタクルス人) Insulares (島民) Blanquiazules (青と白) | ||
クラブカラー |
青 白 | ||
創設年 | 1922年 | ||
所属リーグ | セグンダ・ディビシオン | ||
所属ディビジョン | 2部(2023-24) | ||
ホームタウン | サンタ・クルス・デ・テネリフェ | ||
ホームスタジアム |
エリオドーロ・ロドリゲス・ロペス | ||
収容人数 | 22,948[1] | ||
代表者 | パウリーノ・リベロ | ||
監督 | アシエル・ガリターノ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
22,948人収容のエスタディオ・エリオドロ・ロドリゲス・ロペスを本拠地とする。カナリア諸島のグラン・カナリア島に本拠地を置くラス・パルマスとの対戦はカナリア諸島ダービーとして知られる。
歴史
編集設立からセグンダ参戦まで
編集CDテネリフェが公式に設立されたのは1912年であるが、CDテネリフェの前身となったSCテネリフェ(Sporting Club Tenerife)がその10年前から存在していたとする文献もある。1928年にスペイン全国選手権(リーガ・エスパニョーラ)が設立されたが、テネリフェは地域リーグ(ディビシオネス・レヒオナレス)でのプレーを続け、セグンダ・ディビシオン(2部)に初昇格したのは1953年のことだった。
プリメーラ初参戦後
編集1961-62シーズンにはプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦したが、すぐにセグンダに降格し、その後の27シーズンは主にセグンダに在籍。セグンダ・ディビシオンB(1978年創設、現3部相当)やテルセーラ・ディビシオン(現4部相当、1977年以前は3部相当)でもプレーした。1986年に2度目のセグンダB降格を喫すると、ハビエル・ペレス会長が就任。わずか1シーズンでセグンダ復帰を果たすと、1989年には昇格プレーオフでレアル・ベティスを2試合合計4-1で下し、28シーズンぶりのプリメーラ昇格を果たした。
1990年代 国内外での躍進
編集1991年にはアルゼンチン人のホルヘ・バルダーノが監督に就任し、2シーズン連続で古巣レアル・マドリードの戴冠を阻止している。バルダーノ監督就任初年度となった1991-92シーズン最終節では、首位レアル・マドリードに3-2で逆転勝ちし、結果としてFCバルセロナの優勝に貢献することになった。これはテネリフェの奇跡と呼ばれ、テネリフェはかろうじて降格を回避した。1992-93シーズンも首位レアル・マドリード、2位バルセロナという状況で最終節を迎えたが、テネリフェはレアル・マドリードと対戦し、またしても2-0で勝利してバルセロナの優勝に間接的に貢献。このシーズンのテネリフェはクラブ史上最高位の5位でシーズンを終え、UEFAカップ出場権を獲得した。1993-94シーズンのUEFAカップではAJオセール(フランス)とオリンピアコスFC(ギリシャ)に勝利してベスト16となったが、3回戦でユヴェントスFC(イタリア)に2試合合計2-4で敗れた。1995年にドイツ人のユップ・ハインケス監督が就任し、1995-96シーズンは再びクラブ史上最高位(タイ)の5位となった上に、コパ・デル・レイでは準々決勝に進出。1996-97シーズンには再びUEFAカップに出場し、1回戦でマッカビ・テル・アビブFC(イスラエル)、2回戦でSSラツィオ(イタリア)、3回戦でフェイエノールト(オランダ)、準々決勝でブレンビーIF(デンマーク)を破って準決勝に進出した。ブレンビー戦セカンドレグは、ロスタイムにアントニオ・マタが決勝点となる直接フリーキックを決める、劇的な試合となった。準決勝では延長戦の末シャルケ04(ドイツ)に敗れたものの、ベスト4という快挙を成し遂げた。その後は負のスパイラルに巻き込まれ、1999年には何度もの監督交代も空しくセグンダに降格となった。
2000年代 財政難と停滞
編集ラファエル・ベニテス監督が率いた2000-01シーズンには、最終節でウーゴ・モラレスが得点して昇格を決めた。2001年夏にベニテス監督はバレンシアCF監督に栄転し、ペペ・メルがテネリフェの新監督に就任したが、バルセロナに0-6で大敗するなどして、メル監督はシーズン途中で監督の座を追われた。かつてスペイン代表を指揮したハビエル・クレメンテ監督が就任したが、2001-02シーズン終了後には結局セグンダ降格となった。続く数シーズンは深刻な財政難に悩まされ、4000万ユーロ以上の負債を抱えた。ペレス会長の後任としてビクトル・ペレス・デ・アスカニオ会長が就任したが、アスカニオ会長も稚拙なクラブ運営のためにミゲル・コンセプシオン会長に交代した。コンセプシオン会長は地元の政治家や実業家と交渉し、クラブ系列の建設会社を設立した。セグンダでプレーした2008-09シーズンは、序盤戦こそ失点が多くて順位が安定しなかったが、年が変わる頃から守備が安定し、2009年1月から5月にかけて17戦無敗で順位を大きく上げた。ニノとアレハンドロ・アルファロのコンビで50点近くを挙げ、8シーズンぶりのプリメーラ昇格を決めた。2009-10シーズンは19位となり、バレンシア戦での敗戦後にセグンダ降格が決まった。
2010年代 セグンダへの復帰
編集2010-11シーズンには3度も監督が交代し[2]、2シーズン連続での降格となった。2011-12シーズンは実に24年ぶりのセグンダBでのプレーとなった。2012-13シーズン、カンテラ時代にテネリフェに所属していたアルバロ・セルベラを監督に据えた。セグンダBではグループ1に配属されると、序盤戦から好調を維持し、リーグ残り2節を残してセグンダB優勝を決めた。セグンダBで優勝したことで昇格プレーオフに回ったテネリフェは、プレーオフ決勝でCEルスピタレートと対戦し、第1戦を3-1、第2戦を0-1と2試合合計4-2で2シーズンぶりにセグンダへと昇格を果たした。セグンダに昇格した1シーズン目もセルベラ体制継続を発表し、見事リーグ11位で残留を決めた。2016-17シーズン、冬にクラブ初の日本人となる柴崎岳の加入や新監督であるホセ・ルイス・マルティ体制がスタートし、クラブは4位でシーズンを終えた。プリメーラ昇格プレーオフに参戦し、決勝まで進出したが、ヘタフェCFに敗北を喫し、プリメーラ挑戦は無くなった。
サポーター
編集テネリフェのサポーターはチチャレロス (Chicharreros)と呼ばれる。この単語は「サンタ・クルス人」という意味であるが、これはかつてサンタ・クルスが小漁村だった時代にアジ(スペイン語でChicharro)が主要な食糧だったことに由来する。テネリフェ島やカナリア諸島のその他の島の住民はチチャレロスという言葉を蔑称として用いたが、サンタ・クルスの人々は親しみをこめて用いているようになった。
タイトル
編集国内タイトル
編集- セグンダ・ディビシオン : 1回
- 1960-61
- セグンダ・ディビシオンB : 1回
- 1986-87
- テルセーラ・ディビシオン : 1回
- 1970-71
成績
編集近年の成績
編集優勝 準優勝 昇格 降格
シーズン ディビジョン 順位 試 勝 引 敗 得 失 点 備考 2013-14 セグンダ 11位 42 15 9 18 46 49 54 2014-15 セグンダ 17位 42 11 15 16 41 48 48 2015-16 セグンダ 13位 42 13 16 13 45 46 55 2016-17 セグンダ 4位 42 16 18 8 50 37 66 2017-18 セグンダ 11位 42 15 14 13 58 50 59 2018-19 セグンダ 16位 42 11 17 14 40 50 50 2019-20 セグンダ 12位 42 14 13 15 50 46 55 2020-21 セグンダ 14位 42 13 13 16 36 36 52 2021-22 セグンダ 5位 42 20 9 13 53 37 69 2022-23 セグンダ 10位 42 14 15 13 42 37 57 2023-24 セグンダ 位 42
過去の成績
編集
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- 13シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 47シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 8シーズン - セグンダ・ディビシオンB(現3部相当)
- 3シーズン - テルセーラ・ディビシオン(現4部相当、1977年以前は3部相当)
- 22シーズン - ディビシオネス・レヒオナレス(現5部相当、1977年以前は3部相当)
欧州の成績
編集シーズン | 大会 | ラウンド | クラブ | ホーム | アウェー | 通算 | |
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1993–94 | UEFAカップ | 1回戦 | オセール | 2-2 | 1-0 | 3-2 | |
2回戦 | オリンピアコス | 2-1 | 3-4 | 5-5 (a) | |||
3回戦 | ユヴェントス | 2-1 | 0-3 | 2-4 | |||
1996–97 | UEFAカップ | 1回戦 | マッカビ・テル・アビブ | 3-2 | 1-1 | 4-3 | |
2回戦 | ラツィオ | 5-3 | 0-1 | 5-4 | |||
3回戦 | フェイエノールト | 0-0 | 4-2 | 4-2 | |||
準々決勝 | ブレンビーIF | 0-1 | 2-0 (a.e.t.) |
2-1 | |||
準決勝 | シャルケ04 | 1-0 | 0-2 (a.e.t.) |
1-2 |
現所属メンバー
編集- 2024年1月10日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- 監督
歴代監督
編集- エクトル・ヌニェス 1972
- エクトル・ヌニェス 1972-1973
- イグナシオ・エイサギーレ 1973
- マヌエル・サンチス 1977-1978
- ハビエル・アスカルゴルタ 1989-1991
- ビセンテ・ミエーラ 1989-1990
- ホルヘ・ソラーリ 1990-1992
- ホルヘ・バルダーノ 1991-1994
- ユップ・ハインケス 1996-1997
- ビクトル・フェルナンデス 1997
- フアン・マヌエル・リージョ 1998
- フェリペ・ミニャンブレス 1999-2000
- ラファエル・ベニテス 2000-2001
- ペペ・メル 2001-2002
- ハビエル・クレメンテ 2001-2002
- ホセ・ルイス・オルトラ 2007-2010
- ゴンサロ・アルコナーダ 2010
- アントニオ・タピア 2011
- アルバロ・セルベラ 2012-2015
- ホセ・ルイス・マルティ 2015-2018
- ホセバ・エチェベリア 2018
- ルイス・オルトラ 2018-2019
- ルベン・バラハ 2019-2020
- ルイス・ミゲル・ラミス 2020-2023
- アシエル・ガリターノ 2023-
歴代所属選手
編集GK
編集- ホセ・マヌエル・オチョトレーナ 1992-1994
- ロベルト・エンケ 2004
- マリアーン・ケレメン 2004-2006
DF
編集- アルベルト・フェレール 1990
- カルロス・アギレラ 1993-1996
- セルヒオ・マルティネス・バジェステロス 1996-2000
- クーロ・トーレス 2000-2001
- ハビ・ベンタ 2000-2001
- ジョセフ・ヨボ 2001-2002
- シャク・ムーア 2019-2022
MF
編集- ルイス・モロウニー 1943-1944
- フェリペ・ミニャンブレス 1989-1999
- フェルナンド・レドンド 1990-1994
- チャノ 1991-1999
- スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ 1995-1999
- サムエル・スロヴァーク 1997-2002
- ルイス・ガルシア 2000-2001
- クリスティアン・バセーダス 2001-02
- ハイメ・ガビラン 2004-2005
- シルバン・エンディアエ 2007-2008
- ミケル・アロンソ 2009-2011
- ロマン・マルティネス 2009-2010
- 柴崎岳 2017
FW
編集- ルベン・カノ 1982-1985
- キケ・エステバランス 1989-1993
- ビクトル 1994-1995
- フアン・アントニオ・ピッツィ 1994-1996,1998-1999
- オリバー・ノイビル 1996-1997
- アウレリオ・ヴィドマー 1996-1998
- ロイ・マカーイ 1997-1999
- ミスタ 1999-2001
- エステバン・フエルテス 2000-2001
- ブルーノ・マリオーニ 2001-2003
- ヴェリコ・パウノヴィッチ 2002-2003
- トーマス・フランコフスキー 2006-2007
- ニノ 2007-2011
- アントニー・ロサノ 2015-2017
脚注
編集- ^ “Instalaciones” (スペイン語). CD Tenerife. 26 May 2016閲覧。
- ^ “David Amaral es el nuevo entrenador del Tenerife” (Spanish ). Diario AS (5 April 2011 ). 22 April 2011閲覧。