MS406 (航空機)
モラーヌ・ソルニエ M.S.406
モラーヌ・ソルニエ M.S.406(Morane-Saulnier M.S.406)は、第二次世界大戦初期のフランスの戦闘機である。
概要
編集1934年7月のフランス戦闘機の近代化計画で採用された。1935年8月8日に初飛行したM.S.405の改良型として、1938年に大量生産が開始された。低翼単葉、引き込み脚、密閉風防を採用しているが、胴体後部は羽布張りの構造である。第二次世界大戦開戦時に約600機が軍に引き渡されており、P-36 ホークとともにドイツ空軍機と戦った。
エンジンの馬力不足による低速、機関砲他のシステムの信頼性不足により劣勢であったものの、1940年6月8日に、ロベール・ウィヤム大尉が操縦するM.S.406は、3機のBf 109を15秒で撃墜した。 フランスにおける戦闘で合計150機のM.S.406が撃墜されたのに対し、ドイツ空軍機191機を撃墜し、おそらく89名が死亡した。 上記とは別に約100機のM.S.406が地上で撃破され、他の50機は敵の手に落ちるのを防ぐため、パイロットによって破壊された。
フランス以外でもスイス・フィンランド・トルコなどで運用され、特にフィンランド空軍で使用された機体は、継続戦争時にソ連空軍から鹵獲した同じイスパノ・スイザ系のM-105P エンジン(出力1,100hp)に換装され、最大速度522km/h、実用上昇限度12,000mと性能が向上し、「メルケ・モラーヌ(Mörkö Morane、メルケとはフィンランド語で「お化け」の意)」また、LaGG-3と同じエンジンだったことから「ラグ・モラーヌ」と呼ばれ、ソ連相手に奮戦した。
スイスでは、D-3800の名称でEKW社でライセンス生産が行われた他、フランスで試作に終わった改良型のM.S.412もD-3801としてスイス・ドルニエ社→ドフルク社で生産され、これらは輸入機のBf 109Eとともに第二次世界大戦中のスイス空軍の主力戦闘機となった[1]。ドフルク社では発達型のD-3802の開発も進められたが、完成は戦後となった[2]。
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D-3801
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D-3801
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D-3802
スペック(MS.406)
編集出典:航空情報編集部「仏・伊・ソ軍用機の全貌」酣燈社1965年[3]
- 乗員:1名
- 全長:8.15m
- 全幅:10.71m
- 全高:2.84m
- 主翼面積:16.0m2
- 空虚重量:1,893kg
- 運用時重量:2,426kg
- 総重量:2,720kg
- 動力:イスパノ・スイザ 12Y31液冷V型12気筒レシプロ 1基
- 出力:860hp
- 最大速度:486km/h
- 巡航速度:400km/h(5,000m)
- 航続距離:800km
- 実用上昇限度:9,500m
- 上昇率:5,000mまで6分
- 武装:20mm機関砲HS.404x1門 7.5mm機銃MAC 1934x2丁
登場作品
編集アニメ
編集ゲーム
編集出典
編集- ^ 飯山幸伸 『中立国の戦い』 光人社、2005年、ISBN 4-7698-2463-7、pp.107-108・p129
- ^ 飯山幸伸 『中立国の戦い』 光人社、2005年、ISBN 4-7698-2463-7、p144
- ^ 航空情報編集部「仏・伊・ソ軍用機の全貌」酣燈社1965年
外部リンク
編集- 230.モラン・ソルニエMS406戦闘機[フランス](古典航空機電脳博物館)