EDITOR'S LETTER

未来という名の建設現場──新年に寄せて編集長から読者の皆さんへ

2025年に開催される「大阪・関西万博」の会場から考える、未来を一度かたちにしてみることの意義──新年に向けた特集「THE WIRED WORLD IN 2025」に寄せて、編集長・松島倫明からのエディターズレター。
未来という名の建設現場──新年に寄せて編集長から読者の皆さんへ
COVER ARTWORK: BEN HINKS, RYO TOMIZUKA, PHOTO: DAIGO NAGAO

かつてある高名なグラフィックデザイナーから聞いた、「未来の都市には建設現場が足りない」という言葉が心に残っている。都市計画であれSFであれ、未来の風景が描かれるとき、それが往々にして、完成されたものとして提示されることへの違和感を指摘したものだ。100年に一度といわれる大規模再開発のまっただなかにある東京を見渡してみれば、あちらこちらにクレーンが屹立している。「未来」の定義が「現在」との差分であるとすれば、未来とは建設現場にこそあるのだ。

まだ10代の学生のころ、建設現場でバイトをしていた。バブルが崩壊する直前のことで、現場はいくらでもあったし、肉体労働はきつくても、夕方仕事が終わると、当時日本に多く来ていたイラン出身の日雇い仲間たちから、マリファナの煙が香る紙巻きタバコが回ってきたりして、みんなで一日をねぎらったものだった。あのときぼくらは確かに何かをつくり出していた。今回、撮影と取材のために夢洲の「大阪・関西万博」会場に足を運んだときも、建設中のパビリオンの下で黙々と汗を流す作業員たちの姿に目が留まった。彼/彼女たちはいま、2025年の今頃にはほとんど解体される予定の万博会場で、いったい何をつくっているのだろうか?

20世紀において、あるいは1851年に世界で初めての万国博覧会がロンドンで開かれて以来、その意義と目的はずっと明確だった。最先端の科学技術と文明を誇示することによる国威発揚、そして経済振興。1970年の大阪万博も、まさに日本の高度経済成長をことほぎ、21世紀の未来を語る装置としてあった。『WIRED』の30周年に特集した「Next Mid-Century」号で問うたように、20世紀における「未来」とは一方で、いわば西欧社会の白人男性のインテリによってつくり出されたものだった。宇宙開発であれヒューマノイドであれ、いま実装が目されている「未来」とは、いうなれば20世紀にすでに想像されていた未来だ。果たして次のミッドセンチュリー、つまり2050年代までに、人類は新しい未来を手にすることができるだろうか? あるいは、21世紀における万博とは、それを更新するものになりえるだろうか?

SF作家のウィリアム・ギブスンにかつてインタビューをしたとき、彼から「なぜわたしたちは22世紀を想像できないのか? 」という重要な問いをもらった(心に刻むために、愛車のナンバープレートを「21-01」にしたほどだ)。20世紀においてはまがりなりにも21世紀を誰もが思い描いていたけれど、いまや22世紀を人々は思い描けていないんじゃないか、というものだ。その問いはぼくらの想像力/創造力を鼓舞するけれど、一方で、そこにはポジティブな意味もある。誰かに決められたひとつの未来(Future)に国家単位で一斉に向かうのではなく、多元的ないくつもの未来(Futures)の可能性をできるだけ多くの主体が描いていくことこそが、ぼくたちの世代の役割なのではないかと思うのだ。

だから、2025年という時代においてもはや万博の意義が存在しないと批判することはたやすいし、ひとつの未来を見いだせないという時代状況を的確に捉えてもいる。多元的ないくつもの未来を描くことの可能性と困難さを、図らずも今回の万博は体現しているのだ。そこに立ち現れるものがありきたりでお仕着せの予定調和な未来ではなく、バラバラの方向を向き全体を括る言葉をもちえないような複数形の未来なのだとすれば、それこそがいまぼくたちが手にできる、万博の意義だと言えるのかもしれない。

その会場を歩きながら、多額のリソースをかけて得られる大切な教訓があるとすれば、それは、未来を一回かたちにしてみるという営為そのものではないかと思い当たった。人類学者のティム・インゴルドは著書『メイキング』において、想像するだけでなくそれをつくることによって、人は環境へと応答(コレスポンダンス)し、世界と新たな関係を結び直すのだと言っている。万博を文化人類学的に捉えてみれば、自分たちの社会がいま想像し、実現できる未来がどこまでなのかが見えてくる。それは間違いなく、頭で考えただけの、最高で最先端のものではありえない。だからこそ、理想と現実、技術に限らず文化や政治のレべル、あるいは社会の基盤にある人々の信頼の在り処までを、確かめることができるのだ。

未来がひとたび出現したからといって、それでエンディングではもちろんない。パビリオンは完成しても、未来への建設がそれで終わるわけではないからだ。だからぼくたちは、まだ建設中の現場が残っている未来を見ていることを、いつも思い出したほうがいい。そして、実際にその未来をかたちにするのは、そこで身体を動かしている人々であることも。最新号「THE WIRED WORLD IN 2025」特集には、そうした未来の建設現場が詰まっている。

『WIRED』日本版 編集長 松島倫明


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※ 雑誌『WIRED』日本版 VOL.55 特集「THE WIRED WORLD IN 2025」より転載。


雑誌『WIRED』日本版 VOL.55
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